修復された石層塔の周りには、4体の四天王とみられる石像がある。
説明によると反乱を起こした隼人が朝廷によって征伐されたときの
霊を慰めるために建立されたとある。
四天王とみられる石像。
実は「隼人塚」と呼ばれる石碑がこのほかに
国分重久にある。(以前取り上げた「隼人首塚」)こちらの方は人も寄り付かない
ような田んぼの中に、ひっそりと記念碑だけが建てられている。
ここ隼人町の隼人塚と呼ばれる石造物は昔から、移築され今の公園に写されたもので、実はこれは寺院の跡ではないかという説がある。
石碑には仏像が彫られていることなどからも、うなずけるのである。
国分重久止上の田んぼの中にある「隼人塚伝説の碑」
表示板の上の山が隼人の、たてこもったとされる姫城の山(姫木城跡)。
「この塚は、養老4年隼人の反乱で殺されたハヤトの霊を鎮めるために
造られたといわれています」とある。