2024年9月に
誤嚥性肺炎での入院
それ以前から、食欲が落ちて
食べられなくなっていた父
日々弱っていく父を見て
最後をどこで
どんなかたちで迎えさせてやるのがいいのか
そんな事を考え始めた矢先の事
入院後
施設は三ヶ月しか部屋をキープしておけない
療養型病床に転院しても六ヶ月という区切りがある
また施設探しをしなければならないのか
区切りはあるものの
何か手立てはあるはずだが、と
悩んで悩んで
悩み抜いて
とうとう、家での看取りを覚悟した私に
快方に向かっていたのに急変したとの連絡が入った
意識のあるうちに会ってあげてとの連絡だった
酸素マスクをつけ
苦しそうに息をする父を見て
涙が溢れた
私にはどうしても
父が生きている間に
伝えておかなければならない事があった
そして
私は父にどうしても聞いておきたい事があった
私と父の間にある
なんとも言い難い確執と
素直になれない思いを
ずっとずっと引きずり生きてきた
ただ
病室での父の姿を見た時
父に聞いておきたかった事は
もう聞けないと思った
お父さん
お父さんでいてくれてありがとう
生まれ変わってもお父さんでいてや
生まれ変わっても
また家族をやり直そうな
お父さんとお母さんと三人
その時はもう置いてきぼりは
嫌やで
やり直そうな
何度も頷いた父
父は何か言いたそうに
口を開いたが
酸素マスクの下
言葉にはならなかった
涙が流れていた
私の幼い頃
七年間も家を出ていた父は
戻ってきてからも
きっと
その罪悪感に苦しんでいたに違いない
その罪悪感から解放して
送ってあげたかった
本当ならもっと早く
伝えるべき言葉だったかもしれない
そして
父は次の日に息をひきとった
母が亡くなってから十年あまり
父の介護が
いつまで続くんだろうと思った事もあった
今までにない穏やかな顔の父を見て
気がついた
奇しくもその日は私の誕生日だった
父がくれた最後の誕生日プレゼント
それは
私への精一杯の愛情だった
精一杯の感謝だった
もうじゅうぶんだと
私を解放してくれた父
最高のプレゼントをありがとう
このブログを綴るまでに
半年もかかってしまった
あれほどしんどかった毎日から
解放されたはずなのに
ぽっかりとあいてしまった心の穴は
いまだに埋まらず
たぶん
これからも埋まる事はなく
それでも、やっと
母の隣に刻まれた父の戒名を見て
娘としての役割を終えた安堵感に
包まれている
偶然とはいえ
私の誕生日に逝くなんて
なんだかカッコイイよね
お父さん…
最後の誕生日プレゼント
ありがとう…