ありすのブログに

お越しいただき

ありがとうございます


あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします☆



今年初のブログは

スタッフ四方山話さんのブログを

リブログさせてもらいました



はんなりした光景

綺麗やわぁ



黒紋付きに金の丸帯

何よりも私が好きなのは

裾に見えるあの赤い色


チラッと見える襦袢の赤が色っぽいと

幼い頃

近所のおっちゃんが言っていた


数え年三つの節分に

髪を結って

着物を着せてもらい

お参りした祇園さん(八坂神社)で


祇園甲部のお茶屋さんのおかみさんに

「この子を舞妓にさしてもらえへんやろか」と

声をかけられたとか


「中学を出てからでかまへんさかいに

うちに預けてもらえへんやろか」


「お支度も全部うちでするさかいに」


芸事が好きやった母と叔母

けど、花街の厳しさも知ってるが故に

丁重にお断りをしたらしい


私には平凡な人生を

歩ませたかったと言う


ところが

そんな話しを知らん私は

舞妓になりたかった


中学卒業したら舞妓さんになる学校行っていい?と言い出した


その時初めて

祇園さんでの話を聞いた


祇園のどこのお茶屋さんかは

母は教えてくれへんかった


「あんたには無理やで」

「綺麗やな〜言うて見てる方がええ」


その言葉から始まる母の話に

妙に納得した私は

当時、習っていた若柳流の名取の資格はいらんから…と

私学の高校に進学させてもろた



踊りの会のお稽古で


七つの頃


若柳流やったから

流派が違うのに

なんで井上八千代さんが

そこにいはったのか

今となってはわからへんのやけど



「あんた、舞いはやめなはれ」と叱られた

しゅんとする私に

「もっと前を向いてしゃんとしなはれ」

「しっかりお稽古しなはれや」と声をかけてくれはった



着物を着た小さなおばさんが

あの井上八千代さんやったと知ったのは

もう少し後の事になるんやけど



あの時

母が私をお茶屋さんに預ける決断を

してたら


あの時

母の反対を押し切っていたら


私は舞妓さんから芸姑さんになって


そんな人生を送ったかもしれへん


けど

今でも舞妓さんも芸姑さんも憧れで



とっくにやめてしもた踊りの

お稽古の扇子も捨てられずに


井上八千代さんが見てはったお稽古は

道成寺の小坊主だった

踊りが嫌いやった訳やなく

小坊主より綺麗な衣装の花子さんを踊りたいと思うような

小生意気な子やった私



今となっては

下手くそな私がその道に進まんで

良かったと思ってる


高校の頃

舞妓さんらが新年につけはる

稲穂のかんざしを

母がくれた


日本髪の好きな母は

二十歳になるまでに

私に桃割れを結って欲しいとも言った


当時の私は

その母の思いには答える事ができひんかったけど


私の夢を知ってる母の

せめてもの愛情やったんかも知れん


スタッフ四方山話さんのブログを読んで

ずいぶん昔のことを

あれこれ思い出させてもろた今日


久しぶりに

寒い寒い京都の町を

歩いてみたくなったありすです