二週間前、急に尿が出なくなり
入院した父

糖尿病の神経障害と前立腺肥大のための尿閉塞だった


今後はバルーンカテーテルを入れての生活となるだろう

6月に腰が痛いと言い、ほぼ一ヶ月動けず
整形外科では骨には異常なしとの診断だったが
今回、圧迫骨折が見つかった
すぐにコルセットの手配をしていただき、つけると楽になったものの
痛みとはこれからもお付き合いが続くであろう


圧迫骨折が神経に触っての尿閉塞ではなさそうだとの診断なので
入院は3週間の予定だと言われ

治療と並行して退院後の話をするという、なんだか訳のわからない状態となった

雲をつかむような話

例えば…とか

最悪…とか


二つの選択肢
治療後の二つの結果があるならば、
専門家として
きちんとした説明があって当然と思った私が甘かった

医者も相談員も
日本語を一から勉強し直してね、と伝えたいような相手だった

医者って治療をする人よね?
医者って命を預かってるのよね?

病院といえども会社と同じですから、なんて言葉が出るなんて

私はなんともやるせない気持ちになった

会社と同じなら
患者もお客さんなのにね
患者の支払うお金でお給料もらってるのよね

今、急性期の病院は長くは入院できないようになっている

これ以上の治療が必要ではないと判断で退院は当たり前だと思うし

もちろん、必要な人が入院して治療が受けられるようにという考えも理解できる


でも、でも
高齢者の場合
受け入れる家族側の都合は二の次なのか?

家族が仕事を持っているのを理解できないの?

忙しいのは自分達だけだと思っているのか
はたまた、親のことだから病院側の都合に無理をしてでも合わせて当たり前と思っているのか…


言葉の端々に優しさの微塵も感じることのできないような話し方をする人が
なぜに医療現場で人の命を救ったり
相談にのったりする仕事を選んだのだろう

自分は人の役にたっているという自己顕示欲なのか…

人のお役にたちたい、という気持ちと
人の役にたっているという満足感を得るためだけの仕事では
段違いの差があると


そんな事を感じてしまった




介護保険の制度や
医療制度は
誰のためのものなんだろう


本当に当事者と
そこにいる家族のために
きちんと機能しているのだろうか


ちゃんと
状況に合うものなのだろうか


急性期からの転院が
ぼんやりしか見えない今

もしかしたら荷物をまとめて
病院の玄関先に放り出されるんじゃないかと

そんな怖さを感じているのは
私だけだろうか



高齢者の方を世話されている方々から

よくわからへんねん


という言葉を聞くが



今まさに私が


よくわからへんねん、状態である



この
よくわからへんねん、から脱出するために
ネットで調べたり
あちこち問い合わせしたり


費やした時間…

本来は
病院の相談員がするべき仕事ではなかったかと思いつつ


父のためにあれこれ考え
父のために一番良いのは、と

父のために、と思う自分を見つけ



もう、笑うしかない私だった


親との共存…なんだ



父の入院で見えてきたもの

それは
何か矛盾していると
思わざるを得ない状況が
あるということだった