先月、親戚のおばちゃんが膵臓癌ステージ4で
10ヶ月の闘病の末、亡くなった。
私たち家族がおばちゃんの病気を知ってのは2月の終わりのこと
小さい頃は、向かいに住んでたおばちゃん。
おばちゃんには3人の子どもが居て1番下のk君は私の2個上。
昔はよく遊んだ。
私たち家族が引っ越し、近年は会う機会もなく、何となく疎遠になってた。
たまたま母が子供の一人に連絡を取る機会があって知った。おばちゃんは、自分から暫くぶりに連絡して病気の報告をするのを躊躇っていたみたい。
聞いた時、『おばちゃんに会いたい!』って思った。
おばちゃんの体調などを聞いて、兄弟3人で会いに行った。
おばちゃんの家に着いてドアを開けると、小さくなったおばちゃんが居た。
『arareちゃん、おばちゃんこんなになっちゃったよ』
そう言って、おばちゃんは泣いてた。
一緒に泣いた。
何でおばちゃんが。
おばちゃんはとても働き者だった
家の一階が作業場になっているのだけど、
いつ遊びに行ってもおばちゃんは仕事をしてた。
口数はけして多くないんだけど
『arareちゃん』って私を呼ぶ笑顔が頭を離れない。
最初は病気の話で泣いていたおばちゃんだけど、
色んな話をして、昔の話になったとき、
『色んな事があったね〜』って、ふふふって笑った。
その顔が何だか少女のようで可愛らしくって…
私は嬉しくなった。
皆んなで沢山の昔話をして、おばちゃんは何度も笑ってた。
帰り道、妹がおばちゃんまだまだ大丈夫だよね!
だって、あんなに元気だもん。
そう言って来たので、私も『うん!きっと大丈夫だよ』って答えた。
帰ると、k君から『今日は有難う。arareちゃん達が帰ってから暫く、楽しかったね〜、楽しかったね〜ってずっとニコニコしてたよ。最近ずっと笑顔なんて見てなかったから凄く楽しかったんだと思う』ってLINEが来た。
また、近々行こうって皆んなで話していたけど、おばちゃんは抗がん剤をやってから1週間は体がキツいと聞いていたからタイミングを考えてた。
その間におばちゃんはご飯が全く食べられなくなった。
おばちゃんは今、やっている抗がん剤の副作用が本当にキツいと話してた。
前の抗がん剤は体に合っていたけど製造中止で使えなくなってしまったと。
その話を聞いた時、正直、抗がん剤を辞めてしまった方が良いのではないか?って思った。
抗がん剤をやめて、少しでも食べられるようになったほうが…
頭の中をよぎったけど口には出さなかった。
きっとおばちゃんと家族が考え抜いて選択した道だから。
食べれなくなったおばちゃんは、ついに緊急入院した。期間は2週間くらいだったと思う。病院で体重を少し戻して帰ってくる予定だった。
入院した時点で告げられた余命は短くて2ヶ月。
だけど、実際はそれよりもずっと早く退院する日には余命2ヶ月から2、3日に変わった。
そして、何とか退院して来た日会いに行ったおばちゃんはもう意識がない状態だった。
病院からのタクシーの中では話すことも出来たみたいだったけど、家に着き、苦しがって嘔吐した後、意識がなくなって行ったと。
それでも、そんな状況でも自分の嘔吐した物を一生懸命、拭いてたって。
そして、退院して来た日の夜におばちゃんは息を引き取った。
家族でさえ、予想をしてなかった最後。
皆んな心待ちにしていた退院の日。
あまりにも短い時間だった。
でも、違うな。って考え直した。
おばちゃんは家族に迷惑を掛けることを凄く気にしてた。
だからきっと逝く日を決めていたんじゃないかって。
でも、最後に皆んなの顔を見たかったから退院して来たのかな?って。
おばちゃん、おばちゃんの姿は見えなくなってしまったけど、おばちゃんが生きた証、3人の子供と6人の孫、皆んな仲良く支え合ってるよ。
孫はみーんな素直で良い子
安心して見ていてね。
おばちゃん、ありがとう😊