四大文明を世界史で習います。
「インダス文明=インダス川」であって、ガンジス川とは別。
紛らわしいのは、
インダス川とガンジス川、どちらにも文明が生まれていたこと。
もちろん有名なのはインダスです。
紀元前2300年頃にまずインダス文明がドラヴィダ系の民族により生まれ、
環境変化で次第に衰退します。
その1000年後にあたる紀元前1000年頃、
遊牧民族のアーリア人がインドに侵入し、
ガンジス川でバラモン教に基づく文明を生みます。
両者はまったくかぶっていません。
違いを挙げると下記の通り。
▼インダス文明
ドラヴィダ系の民族が担う。
砂漠化などで衰退後は、インド各地へ移住。
▼ガンジス川の文明
アーリア人が担う。
カースト制度の原型であるバラモン教が生まれる。
征服民であるアーリア人:支配階層のバラモンのほかクシャトリア、ヴァイシャの上位3層。
被征服民(ドラヴィダ系など):シュードラ。
*最近の研究ではドラヴィダ系の人たちにもバラモンなどがいたことがわかっています。
なんでアフガニスタンなどからやってきた
アーリア人が先住民族を征服できたのか?
「インド・アーリア人は、馬曳戦車を駆使し、青銅製の武器を使い、鎧を身にまとっていたため、戦闘においては強力で、さまざまな争いに打ち勝ったものと考えられている。」
(Wikiより)
現在は両者の混血が進んでいるので、
言葉で民族の定義をしていることが多いそうです。
超ざっくりですが、
北部はアーリア系の人が多く
南部はドラビダ系の人が多いという理解です。
身体的特徴では、
アーリア系の人は彫りが深く
ドラビダ系の人は肌の色が黒い人が多い。
(表現に他意はありません)
わしも半年以上かかってなんとなかくわかるようになりました。
南部の州に行かないとわからないかも。
ちなみに日産やトヨタの工場は南部です。
港が近いという物流の理由の他、
ドラビダ系の人は勤勉だというのも理由のひとつとか、、、。