「Part of Something」
何かと関わりを持ちたいと思ったことは無い
コミュニティーなど持つ意味も無い
俺は俺がかつていた所にいる必要がある
好きな奴とじゃなく、信頼出来る奴と
これは、最初からそこにいてくれた友人との関係を取り戻す為の祝杯だ
お前らに謝らなくちゃいけなかったから、
心からありがとうを言うよ
今の俺らが在るのはお前らのおかげだ
何があろうと、これを受け入れるさ
欲望に溺れ、間違った方へ行き、
決して触発されなかった
そんな日々に俺らはバラバラになったけど、
気持ちはいつも最初の頃へ戻ろうと思っている
お前らのおかげで気持ちが離れず、
お前らの心を忘れずにいる
俺らは今を振り返る為にここまできた
「絶対にみんなを残して死んだりなんてしない」
「いつだって解決策はあるよ」
もし俺が陰険な奴なら、
この目でお前らを見透かしてやる
俺が知った「善意」ってやつでまた確かめてやんよ
道ができたからといって、
それが俺の唯一の居場所ってわけじゃない
これがお前らの言う、真の友情ってやつか
人との繋がりがテーマであろうこの曲。
歌詞の背景設定は、
現在の自分は誰と関わりを持ってもしっくりこない。
↓
「やっぱ昔喋ってた奴らが一番だな。久しぶりに会いたいな〜」
↓
実際に過去の友人らと再会する。
↓
「ん?あれ?何だこいつら...こんな奴らだったっけ?は?いや、お前ら誰やねん」
↓
「昔の友人も駄目か。どいつもこいつもクソばっかだな」
という感じでしょうか。
現状は友人がいようと孤独であろうと、こういう経験はないでしょうか?
久々に会った友人(親友)が、前とはまるっきり別人の様になってたり、
当時は面白くて個性的だった人がつまらない人になってたり。
個人的な見解ですが、
恐らく原因は社会による過剰な同調圧力や共調性でしょう。
ていうか、日本人がこういう歌詞を書くのは分かるけど、まさかイギリスでもこうだとは...
自分の歌詞解釈が間違ってない限り、
同調圧力がやかましいのはどうやら日本だけではないようですね。
アメリカはそんなことないんだろうけど。
もし間違ってたらどなたか一声頂けると有難いですm(_ _)m
久々に会った友人と何の障壁も無く仲良く出来る人と出来ない人。
出来る人っていうのは、学校を卒業して社会に出て自然と周囲の影響(圧力)で自己(個性)が洗い流されて、
無意識に何も考えることも無く周囲に合わせて、
気付いたら周囲と同化してる。けど本人はそういうことを意識してないし「気付いていない」。
全員に当てはまるわけじゃないけど、「自分はこれこれこういう奴なんだ」と客観視することも無い。
対して出来ない人っていうのは、単に自我が強いっていうのもあるかもしれないけれど、
大抵は自分と他人を客観的に見比べている人でしょう。
周囲に何事も無く溶け込めていたら、自分を客観視しようという気にすらならないだろうし、必要ないし。
どちらかというと自分は後者で、
例えば昨年度に成人式に出席したのですが、
まああの空間に居る時の気まずさと言ったらもう(笑)
小・中学校と一緒に喋って遊んで、時には馬鹿もして皆で叱責されたりして、
あの頃は皆面白かったですよ。
それが中学振りに会ってみれば、もう誰が誰だか分からない始末で。
顔のパーツが違うだけで中身はどいつも一緒やん。
あの頃の口調で喋った自分が馬鹿みたいに思えて、即行帰りたくなった。
話っつったって、学校の思い出話ばっかだし。
これはどうでもいいけど、自分と音楽趣味の合いそうな人もいなかった。
それはそれでその場は何とかやり過ごしましたが、
まあ生きた心地がしなかった(´-ω-`)
20歳を迎えるというのはこういうことなのだろうか。
自分みたいな思いをしたのは自分だけだったのだろうか。
あの頃の方が良いと言ってる時点で自分は餓鬼のままなのか、成長していないのか。
そうやって同化することが大人になるということであれば、
自分はそんなもん願い下げですけどね。
......(´・ω・`)