今朝偶然見つけたblog。



そのblogは9月14日の投稿が最後で.コメント欄には11月18日に亡くなったようですね。と記されていました。



この日にblogを書いた方が亡くなったという根拠はわからないけれど。






このblogを読んであの日の記憶が甦る







今年7月のとある夏の日。



飛び降りる覚悟を決めたK君を全力で止めようと必死に言葉を掛けたあの日。


出口の見えない人生に絶望を抱えて、意を決したblog記事がアップされ一見判断が付かない内容ではあったけど、何故か私には最後の遺書に見えた。




この子は目的を果たした後に人生を終わらせようと覚悟を決めているんだ…

何故かそう確信しました。




あの時、他に異変に気付いたのはほんの2人程度であれ?何か様子おかしいかも?

疑問に思っているのがうかがえるコメントをしていた。



え?飛び降り?

まさかそれはないでしょう。

楽観的にそうコメントしている人もたくさんいました。



夕方になっても音沙汰ない事にフォロワー皆んながざわつき始め、ようやくK君が反応した時はキレイな夜景が見える高い場所でした。




皆んなの声が届いたのか自殺を思い止まり、無事に家に辿り着いたと知った時の気持ちは一生忘れられない。



生きることを選んだK君にその後数々の酷い苦難が襲いました。



それを知る度に直接助ける事も出来ないのに。

あの時引き止めた事が本当に正しかったのか。

止める事は正義のフリをした悪なのか。



私は今もまだ答えが見出せずに自問自答をしています。



今朝偶然見つけたblogの方はこのように語っていました。




誰もわかってはくれない

今の私の苦しみなんか

生きることの苦痛に耐える毎日

終わりなき苦痛

暴力より酷い仕打ちを受けた

私の心は殺された

そして病に蝕まれ

自ら体を傷つけて

体もボロボロだ


無責任な他人は言う

前向きになれ!

頑張れ!

過去を振り返るな!

上辺だけの優しさの押し売り

1番信じていたあの人も

優しいふりして近づいて

手を伸ばすと手を振り払って逃げる


私は多くの優しい言葉に勇気付けられ

生かされてきた

私はあの人の暴力より酷い言葉に傷付けられ

そして殺される


常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、

人に喜びを与える言葉を発しようと思って

生きてきた…


発する言葉が大事だと…


言葉で誰かを励ますことができる…

ならば

言葉で誰かを殺すこともできるだろう


言葉には人生を左右する力があるのだ





amebloを見始めた頃『死にたい人のブログ』亡くなった高校生・あんこもち君のblogを発見して読みました。

初めは知らなかった。

すでに亡くなっているなんて…

読み進めて最新に近付くにつれ、彼が追い詰められて行く様子が手に取るように感じた。

そして遂に終わりが来てしまう。

自殺当日の早朝。

自殺を煽るコメントが2件入っていました。

目が覚めそれを目にしたあんこもち君は悪意あるコメントに激しく反応をして最後の言葉を残し通学時間に旅立ってしまった。

私は言葉を失い、涙で何も見えなくなっていました。

後日、遺族と思われる方がコメントで息子に声をかけて下さった方々へありがとうございました。と記されてblogは終わりを迎えた。











K君は今日も精一杯生きている。

いつもK君が大好きで大切で想ってるよって伝える事の大切さをあらためて感じました。


言葉はナイフになるけどタテにもなるよね。