『誰も僕を見ていない』
2014年3月に埼玉県で起きた祖父母殺害事件。
映画『Mother』のモデルにもなった実話です。
逮捕された当時17歳の元少年は今も刑に服している。
そして今わたしの目の前にはもう1人の
『誰も僕を見ていない』の主人公が確かに存在している。
元少年とほぼ変わらぬ年齢のKも同じ空の下、所在不明児として居場所を転々とし家の無い生活を強いられていた。
ネグレクトや虐待。
想像を超える経験をして今日まで生き延びて来た。
1人は虐待の末に殺人を犯し、15年間刑務所に入る人生。
もう1人は虐待の末に母に捨てられ、逮捕されない変わりに過酷な日々を1日1日と辛うじて生きている人生。
どっちが幸せ?
きっとどちらも幸せでは無い。
幸せが何なのかずっと探し続けている。
Kは幸いにも出生届けは出されていたようで、そこだけはまだ唯一、救われた気がした。
そしていつもKに救いの手を差し伸べてくれるMさんには戸籍が無い。
彼も幼少期に虐待を受け、育ての親からは酷い扱いを受け続けている。
無戸籍のまま適切な対処を受けていないMさんは愛する彼女と一緒になりたくても無戸籍が大きな壁となり、すんなり結婚まで辿り着けない。
この話しに登場する子たちは皆んな20代。
Kと出会うきっかけになった虐待サバイバーのH君や友人のJ君。
若い世代が今後の日本を支えるのに。
これから日本を背負う大事な子達なのに。
幼少期から虐待・暴力・ネグレクト・義務教育もろくに受けられず、そのまま大人になったら全ては自己責任なんですか?
子供の頃は当然。
何も身に付けられず成長し大人になった時こそ行政のプログラムやサポートが必要ではないのか。
Kは『無戸籍専門の窓口が全国にできてほしい
子はなにも悪くないのに普通に頑張らなきゃ権利がえられない』
そう語っていた。
私は彼に関わる大人の1人として、何が出来るだろうとずっと考えて来た。
自分のblogで1人でも多くの人に知って欲しい。
無戸籍や虐待を受けた子が大人になってぶち当たる沢山の問題。
いま自分に出来る事から始めようと思った。
元所在不明児も無戸籍の人も生きる権利がある
同じ国民
同じ人間
誰にだって幸せになる権利はある