あきらめる理由がどこにあるのか。
失望の先にあるものは何か。
夢や目標を失う深い悲しみを乗り越えてなお・・・
次々に訪れる険しい道のりを歩んでいくことで、
わたしは、人生を知っていく。
すべては、可能性を信じることで、
自分に負けない強さを持つことで、
約束される幸せな日々。
それに気がつくのも、
それを手に入れるのも、
自分であるという確信は決して揺るがない。
あきらめる理由がどこにあるのか。
失望の先にあるものは何か。
夢や目標を失う深い悲しみを乗り越えてなお・・・
次々に訪れる険しい道のりを歩んでいくことで、
わたしは、人生を知っていく。
すべては、可能性を信じることで、
自分に負けない強さを持つことで、
約束される幸せな日々。
それに気がつくのも、
それを手に入れるのも、
自分であるという確信は決して揺るがない。
わたしは、真実を知りたい。
優しさと思いやりは、必ずしも比例するわけではないけれど、
相手のことを考えているようで、結局は自分自身を守っているということに気がつかない人、
あるいは気がつかないふりをしている人が多い気がする。
それが、ずるいことなのか、仕方がないことなのか、
そのどちらでもないのか、特に答えを求める必要がないのは、
わたし一個人の考えだからだ。
わたしは、結果よりも過程が知りたい。
それが、自己満足のためなのか、世間が重視する結果論に反したいからなのか、
正直わからない。
そのどちらでもあり、また、どちらでもない、
そんなハッキリとしない答えの出ない問いに、白黒つけたい性格のわたしが、
しっくりくるのも不思議だが、嘘や偽りのない素直な気持ちにホッとする。
わたしは、感性というものをとても大切に思っていて、
感受性豊かな人間であり続けたいと願っている。
人間は、感情の動物であると言われているが、
本当に良かったと思う。
当たり前に思われていること、当たり前に行動すること、
特別な意識のない中で、生きていること。
命の尊さ、生きることの面白さ、幸せの捉え方。
自分なりの答えを見つけたい。
自身が納得し、理解したい。
なぜなら、考えることは面白くて、答えを導き出すことが楽しいからだ。
このブログの最後に、ある人物のご冥福を祈りたいと思います。
どうか、安らかにお眠りください。
頭の中に描いていることを実現するのは、
なんて、やりがいのあることなんだろう。
達成感って、確かに必要だと思うけど、
ただ、それを味わいたくて行動するわけじゃない。
例え、他人に否定されたとしても、
例え、多くの人に理解してもらえなかったとしても、
もう後戻りなんて出来ないのだから、
自分を信じて、
ただただ、明るい光の方向に異動するんだ。
決して終わることのない、
この長い道のりを、
わたしは、自分自身と共に歩みながら、
しっかりと、消えない確かな足跡を残さなければいけないんだ。