なぜ?


なぜなんだろう。


人のなかには


どうして「感情」というものがあるんだろう。


悲しい時にはうんと泣いて


うれしい時にはうんと笑う。


「感情」は


言葉以上に


あたしたちらしさを表す。


なぜに


「感情」というものがあるのかは


わからないけれど


「感情」があるおかげで


家族を


「家族」だって想えるわけで


友達を


「友達」だって想えるわけで


大切な人を


「大切」だって想えるわけで・・・・・・・



「感情」は


あたしたちが生きている意味を


表せることばなんだね。













卒業というのは


ある一定の学習を学び終える時。


卒業というのは


別れを表す。


春は


明るい季節なのに


悲しい行事が待っているのは


ちょっとばかりせつない。


いろんなことをいっしょに乗り越えてきた仲間たち。


悩みや相談を聞いてくれた先生たち。


卒業式に流れる涙は


その人たちの


これまでのやさしさのせいなんだよ。










さよならをして


なみだを流して。


死んじゃったら


もう二度と会えないけど


お互い死なない限りは


死ぬまで会える確率は絶対に


50%あるんだよ。


だから


もし友達が転校しちゃったりしても


「さよなら」じゃなくて


「また、いつかね。」








「ごめんね。」を言えなかった時の後悔は


さみしさに変わる。


さみしいってことが


こんなにも私を弱くしてしまう。


後悔を味わってからは


私は何かを失った。


これから歩いていく


道さえも見えなくなった。


この道は


後悔する前の私にしか


きっとつなぐことはできない。








あたたかい心。


優しい人にも


「悪」という言葉はある。


「悪」は誰の心にも存在するもの。


そんな言葉をどこかで聞いた。


「悪」がだれにでもあるのなら


「善」もだれにでもある。


罪人にも


「悪」だらけの中に


小さな「善」がある。


一生を生きていく中で


「悪」が生まれないことはないけれど


「悪」が生まれる分よりも


たくさんの「善」が生まれる。


一人から


「悪」と「善」


同じ分ずつは生まれないけれど


でも必ず


一人ずつ


「悪」と「善」は存在する。








心の扉。


キミだけを招待するよ。


キミが笑顔になってくれたら


扉の先には花が咲く。


キミが励ましてくれたら


扉の先には


花の先にテントウムシ。


私の中の


心の世界。








だれかの喜びとか


だれかの悲しみとか


全部


ほかの誰かのコト。


私が友達とあそんでも


お母さんはちっとも嬉しくない。


お母さんが服を買いに行っても


私はちっとも嬉しくない。


人は


一人ずつ違うから


一秒一秒の感情とかも全部違うし


一秒一秒の心も違う。


自分自身が


ここにある限り


裏切りの確率なんて


必ずここにある。



だから人は


いつも一人。








心には窓がある。


心の窓がくもっている。


指で文字を書いてみた。


でも


すぐに消えちゃった。


よっぽど寒いんだね。


心が悲しんでるんだね。



心には窓がある。


心の窓


今日はくもらない。


文字も書けない。


よっぽどあったかいんだね。


心がうれしいんだね。








あなたの心。


あたしはあなたの心がスキ。


あなたの心はすきとおっている。


めだたなくても


がんばって生きている雑草。


たんぽぽの小さな日かげ。


小さなありの行列。


心が穏やかになるよ。


あたしは


見た目では好きになってもらえないけど


心で好きになってもらいたいな。


あなたみたいに


心だけはいつも


日なたのような


あたたかさでいたいな。










ダイスキ。



そのひとことって



こんなに短い言葉なのに



どうして言えないんだろう。



その瞬間に



そう思ってても



ココロの中では



ダイスキなんだとわかっていても



口が動かない。



ダイスキのホントの意味を知ったから?



それとも



ダイスキはカンタンに言っちゃいけない言葉だと思ったから?



言えなかったのはね



私がホントの意味でのダイスキを




知ったから。