声欲 -syouyoku-

声欲 -syouyoku-

五欲の一。音や声への欲望。みだらな言葉・音楽・歌謡などを聞きたいという欲望。
SAPHO症候群のフィットネスインストラクターでもある。

言葉を考える仕事をしています。

ここに・・・思いついたことや 仕事のかけらを記していきます




普段から蠟燭を「時間」「命」の象徴と考えており、自分の作品に多く使用している。また古いから続き、宗教絵画からも多く描写される「ミソジニー描写」に対し関心があり、自作の「球体関節人形」を使って「命」と「ミソジニー描写」を遊郭の雰囲気を作り表現したいと考えた。

作品には、日本の美の象徴、女性性の消費、支配と所有、豪華さの中の監禁、観ている側の加担、支配している側が実は支配されるねじれのようなものを表現した。

 まず蝋燭の光は、温かさではなく「時間が減っていく光」である。命、美、若さ、存在価値がゆっくりと消費されていく象徴である。

 球体関節人形は、リアルに作られているが人間ではない。感情がありそうなのに、持つことを許されていない存在である。これは遊郭の本質とも重なる。実際の遊郭にいた女郎達も、見られる為に存在し、選ばれる為に美しくあり、しかし主体性は持てないという「生きた人形」のようなモノでもあった。

 背景の屏風は本来、豪華さや雅な物語性を持つ物であるが、豪華な檻をイメージし、蝋燭の赤と薄暗さで遊郭の雰囲気を作った。

 そしてこの写真の世界で、主体なのは人形ではなく上から伸びる「人間の手」だと考えている。

操ろう、所有しよう、命を表現する蝋燭を消そうとする支配者の手、あるいは命を与える創造主の手のように、見る人によって様々な意味合いが生まれるだろう。女性が誘惑の罪の象徴として描かれてきた宗教図像の構造を人間の手と主体を持たない球体関節人形というモチーフで再構成した。欲望を持つ者は上に、罪を背負わされる者は下に置かれる構図である。女は男に買われ女性性が消費されるが、男も金を払い、心奪われ通い詰め、身を滅ぼす。そんなねじれも表現できたらと試みた「人間の手」。

 また面白いのは、この人形が「生き人形」のような魅力を持っている事で、見る側は興味深さとこの状況の残酷さを理解しながら見入ってしまう場合、鑑賞者自身が“上から伸びる人間の手“の側になってしまう皮肉さも面白いと考える。

 欲望の主体は男なのに欲望の責任を女が負わされるねじれを少しでも表現できていればと思う。