いきなりの占星術なタイトルで
ドギモをぬいたはじまりだけど
残っているわずかな人生を
占星術とよりそっていきたいとおもっている。
あくまでも、よりそって。
さてと。
占星術を深く学んでいこうと
まずは自分の絶対的存在の
師匠をみつけなきゃいけなかった。
もう、ここでまちがってるんだけど。
「みつけなきゃ」がね。
わたしの場合にかぎってはそれができない。
できる人もいる。
それは、探究心のある射手座や
知識豊富なふたご座。
もちろん、その星座を太陽にかかげている人たちだ。
ただ、だれもが太陽で生きるしんどさを
どっかでやめちゃって
楽ちんで、自然にできる月の人生を
生きようとしてしまう。
もちろん、生まれたときにみんなが
持ってるものだから
手放そうとしなくていいんだけど
大切なのは、それは月の自分だっていうことを
どこかでわかってないといけない。
わたしの場合だと
親友とモトオットが、太陽がふたご座で
わたしはずっと
月がふたご座のとくいわざの、まねっこを
一緒にいてずっとやってた。
その時間は、振り返ると
それはそれは、楽しかった。
たくさんのおしゃべりと、好奇心とで
どんどん、疲れていっていることにも
気づかずに。
そう、太陽ふたご座は
ぜんぜん疲れない。
むしろ、パワーアップしていく。
月で生きることは
楽ちんで、まわりの人もなぜだか
それをいいって思っている。
ただ、その時間が長く続くと
自分の中で、なにかがウソっぽくなって
モヤモヤがふえてきて
へとへとになってきて
どこに向かっていったらいいのか
わからなくなってしまう。
じつは、太陽で生きるって
ちょっとむずかしいし、孤独だし
すぐに結果がでないから
途中で、「この生き方ってまちがってる?」
とか、「自分に向いてない」とか
おもってしまう。
わたしは自己評価の点数がすごく低いから
まわりの人を気にしすぎて
ちょっとほめられると、調子にのる。
月ふたご座は、モテモテだったからな〜。
結婚して
家庭をもって
離婚して
占星術に出会って
師匠にも出会えて
モテモテの月の人生は
ここまでで終わろうとおもった。
そこからは、とくに何にもがんばってないのに
幸せなことが、コロコロと
毎日の中に転がり落ちてきた。
それは、太陽の孤独を受け入れて
まわりのザワザワを気にしないように
したから。
ちょっとたいへんだったけど
ほんとうにしあわせがやって来た。
太陽で生きることって
しあわせになることだった。