設問1 | 65歳の芸大生

65歳の芸大生

定年退職後、新しいことにチャレンジしたいと考えて、今まで縁がなかった芸術について学ぼうと思い、京都芸術大学通信教育部芸術教養学科に入学しました。このブログは学習記録としてレポート等の成果を載せています。複製、転載はご遠慮ください。

「基礎的概念の整理」と題して、テキスト欄・参考URL欄に記載している補助教材を参考にしながら、次の8つの概念の要旨を、それぞれ個別にまとめてください(字数はすべて合わせて1600字程度)。 1) 美のイデア 2) 詩学 3) 人体の比例 4) 自然美 5) 感性的認識論 6) 趣味判断 7) 崇高 8) もののあわれ

1)    美のイデア
ギリシャの哲学者プラトンが唱えた概念。彼は、物体や現象の背後にある永遠不変の本質を「イデア」と考えた。具体的には、美しいものが美しく感じられるのは、それが「美のイデア」の一部を反映しているからである。例えば、美しい風景、絵画は、この「美のイデア」を原型として、その普遍的な性質を分け持っているとされる。プラトンの哲学において「イデア」は理性的思考によって認識できる非物体的で絶対的な実在とされ、美や善、真実などさまざまな概念に適用された。
2)    詩学
詩の本質、形式、種類、および詩作技法などを研究する学問のこと。アリストテレスの著作『詩学』は、悲劇論や叙事詩論などを含み、文学に関する基本的な理論を提供している。西洋では分析的で論理的なアプローチが一般的であり、この学問は文学全体の構造や内在的な論理を解明するためのものとなっている。
3)    人体の比例
美術作品における人体の理想的基準を定める人体の各部分の比例率のこと。ギリシアのポリュクレイトスは前膊の長さを基準として身体の各部の比例値を算出,それを『カノン』と題する著作に示し,その比例に基き『ドリュフォロス 』の像を制作したと伝えられる。これによれば人体の理想的な比例は頭部が全身長の7分の1を占める。しかし彼よりほぼ1世紀あとのリュシッポスはこの比例を修正し,最も美しい人体の比例が8頭身であることを明らかにした。
4)    自然美
自然の所与に認められる美。美的なるものは「自然美」と「芸術美」に大別される。通俗の用語法では非人間的対象の美,たとえば風景美などをさすが,美学上,人間,人事,歴史を含めて,現実の生において経験される美を総称するのが普通である。「芸術美」との関係は美学の重要な課題の一つで,素朴実在論的に芸術美を自然美の模倣に帰す自然美一元論,観念論的に自然美を芸術美に従属させる芸術美一元論 (ヘーゲル) ,自然美否定論 (オーデブレヒト) ,自然美・芸術美同一論 (コーエン) などがある。
5)    感性的認識論
人間的な認識における感性の役割や妥当性を論じる認識論の一分野のこと。感性は、外界の刺激に応じて感覚や知覚を生じる感覚器官の感受性を指し、感覚的な知覚を通じて我々が様々な事象を認識することが可能となる。感性的認識論は、感性がどのように知識の形成や理解に寄与するかを探求し、感性と理性の関係を考察する。
6)    趣味判断
イマヌエル・カントによって提唱された概念。人間が物事の情緒を味わう際の判断であり、判断される基準は自身にとっての趣味であるかどうかである。例えば、「このバラは美しい」と判断する場合、自身の感情から行われた判断であり、対象の性質を認識することではない。趣味判断は、客観的なものではなく、主観的な快・不快の感情に基づいて行われるものである。
7)    崇高
美的範疇の一つであり、高さや魂を高める特質を指す概念。E.バークは崇高を苦痛や危険がもたらす快感とし、I.カントは崇高を没形式的で量の表象とした。崇高は自然に関するもので、数学的崇高と力学的崇高に分類される。F.シラーは崇高を必然性からの自由の意識的超越と見なし、ヘーゲルは無限を表象しようとする試みの結果とした。J.フォルケルトは崇高を破壊的なものと快適なものに分類し、崇高には倫理的や宗教的な側面もある。
8)    もののあわれ
平安時代の文学,生活の美的理念。本来は,もの (対象) によって人の心に呼起されるしみじみとした感動を意味する。人生の不如意に基づく哀感を基調とし,感情主体によって人事,自然界の事象が共感されるとき,そこに対象と主体の調和が意識され,「もののあわれ」が成立する。本居宣長は『源氏物語』の本意が「もののあわれ」を知らしめることにあるとして,仏教的,儒教的立場からする倫理的評価を批判したが,さらに進んで,「もののあわれ」を日本文学一般の理念であると主張した。