なんとなく、
そのお店に入ってしまった、とか、その商品を手に取ってしまった、とかいうことが時として起こるわけで。


先日、仕事帰りにどしゃ降りの雨の中歩いていると、ふとパン屋さんが目に留まった。
なんとなく「パンでも買ってくかな」という気持ちになり、傘をたたみ店に入った。
そこは、米粉パンのお店だった。

また同じ日、本屋にふらっと入り、入った途端に平積みにしてあった一冊の本に視線が釘付けに。
『殺人鬼フジコの衝動』である。

殺人鬼フジコの衝動 限定版 【徳間文庫】/真梨幸子

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リンクを張ったのであらすじは省くとして。

小説の中で、
「貧乏は社会がつくるのではなく、本人の資質がつくるのである」
というような意味の文章がでてきて、ちょっと考えた。
殺人鬼フジコの親は、世間の平均より稼いでいるものの、見栄を張りたいがために給料を貰って数日で使い切ってしまうような人間だった。
給食費も払えない月が多く、体操服もリコーダーも妹と兼用。
充分な給料をもらっているというのに貧乏。
確かに、もらっているものが少なくても、その中でやりくりできているうちは貧乏とは呼ばないのかも知れない。
それはさておき、フジコ。
自分の立場を守るために人を殺し、都合が悪いといっては人を殺し・・・。
バレなきゃいいのよ、バレなきゃ悪いことにはならない、と言い放つ。
物語の中にぐいぐい引き込まれ、これは本当にあった出来事なんじゃないか、と考え始める。

そんなフジコは、わたしの記憶の中でもう息づいている。
いつか何かの拍子にわたしの記憶から顔を出し、「そんな殺人鬼が居たなぁ」と、現実の記憶として懐かしむ日がくるかも知れない。






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