もいちのオケラ日記 -368ページ目

10年に一度


最初の時は、何の意識もなかった。

節目って言葉もその意味も知らなかった。

ただ毎日、楽しく過ごしてた。



2度目は一番感慨深かったかな。

必ず思う事なのかな?

「これでオレも新聞に名前が載ってしまうなぁ」って。

まぁ、普通に生きていればそんな心配は無用なんだけどね(笑)。

この日の事は少し覚えてる。

日曜日だったので一人安アパートでゴロゴロしてた。

トイレに入ってる時に玄関(入口)の外で何か物音がした。

用を済ませて外へ出ると、バラの花と手紙が。

名前は無かったが差出人に見当はついた。

愛車FZR250を出し、すぐに追いかけたが見つける事はできなかった。

結局この出来事が後の人生を大きく狂わせる事になる。



3度目はそんなに昔の事のように思えないから不思議。

あんまり記憶が無いという事は、

大きな事件は起こらなかったという事か。

ただ、激動の10年間だったなぁとしみじみ思った記憶だけはある。

今のマンションに引っ越してきて、娘達が新しい保育園に通うようになって

まなさんも仕事始めて、新しい生活が始まったばっかりだったから

少しバタバタしてたのかもな。



そして4度目。

娘達もいつの間にか中学生になり、生意気な事も言うけど

大した問題もなく素直に育ってると思う。

若干頭が悪いので、高校入試がちと心配。

「お父さん嫌い」とは言わないし、洗濯物も一緒に洗ってくれる。

ただ、靴下は臭いと言われるが・・。自分でも臭いと思うから仕方ないか。


この10年は、ほんと仕事ばっかりしてた。

土・日・夜中問わず、よく働いたな。

おかげでまなさんには寂しい思いをさせてしまったかもしれない。

結婚して15年も経過すれば「亭主元気で留守がいい」なんて言いそうなもんだけど

我が家はそれもなく、家族みんな仲良くて(若干「母 VS 次女」の構図もあるが・・・)、

ほんと幸せだと思う。


しっかり者だがお洒落に無頓着、出不精でゲーマーの長女。

遊び好きでジャニーズ好き、お洒落なんだが風呂嫌いの次女。

家の事は娘任せ、でも少ない給料をやりくりして

家計はしっかり守ってる常にマイペースなまなさん。

そんな我が家の女性陣とおもしろおかしく人生を歩めたらいいと思う。


ここまで無事に生きてこれたのも

両親が健康で丈夫な身体に産んでくれたからこそ。

特に母は初めての出産で妊娠中の辛い思いや

出産時、痛い思いをした事だと思う。

誕生日だからってめでたい事なんて何も無い。

この日が来るたびにいつも思う事。

自分は何の努力もせず産まれて来て

自分で生きていけるまで養い育ててくれた。

そんな両親にこの日は特に感謝したいと思う。

幸い両親ともまだバリバリ働いてて、世話が必要なわけではないけど、

「孝行をしたい時分に親はなし」という諺ではないが、

人生の折り返しを過ぎて、節目を迎えた今、

出来る限りの事はしてあげられたらいいと思う。


「子曰、四十而不惑。」

これでも我が家の大黒柱でもある訳ですから、

しっかりと舵取りして行かなきゃって思います。

自分が両親からしてもらったように、

せめて娘達だけはひもじい思いをしなくて済むようにしなきゃな。


次の10年は我が人生一番の正念場だと思う。


「子曰、五十而知天命。」

さて、5度目はどうなっているだろう・・・・。

こうやって振り返る事ができるくらいの余裕があれば

それだけで充分かもな。