2016年12月中旬。
主治医の先生から、具体的な病名が付きました。
「重度ストレス反応」
という病名でした。
印象的だったのは、
よく耳にする「適応障害」とはあなたは違うね、
と言われたこと。
あなたが適応できていないんじゃなくて
まわりの環境や人のせいで、
ストレス反応を起こしているんだよ、と。
以前の記事でも少しずつ触れていましたが、
職員室でいじめを受けていました。
何度も言いますが当時はいじめを受けている自覚は
全くありませんでした。
私がいけないんだと思っていました。
無視、仲間外れ、わざと聞こえるような陰口。
一方的に責め立てられる。
答えられないような質問を永遠にされる。
勤務時間外のスポーツへの強制参加。(参加したらしたで下手くそってら怒鳴られる。笑)
賞味期限切れのお菓子を投げられる。
飲みかけのペットボトルを置かれる。
ゴミや荷物が私の机まで押し寄せてくる。
そして、一番苦しかったのは
思い出したくもないような言葉を
毎日次々と投げかけられたことです。
例えば、
「子どもをほったらかしてる、学級崩壊まっしぐら」
こんなのは日常茶飯事ですれ違うだけで言われていました。
もっと辛い言葉がたくさんありました。書きたくないので書きません。
これは一度目のいじめです。
これが約2年続き、その後もっと酷いパワハラをトップから受けました。
そのことはまた別の機会に。
病院で、業務軽減の必要があるとの診断書を渡されました。
初任なので充分軽減していただいているにも関わらず。
管理職と相談をして、
2学期の通知表だけは何としても自分で完成させたい、
自分の手で渡したいという意志を伝えて、
そういったクラスのこと、私にしかできないことだけに専念させてもらうことになりました。
休みがちになりながらも、通知表は完成させて後は子どもたちに渡すだけのところまでいきました。
でも、そんな大切なことでさえ、できなかった。
その頃にはもう、職員室で手が震えて
息が思うようにできなくて、
自分の席では頭が真っ白で仕事が手につかない状態でした。
それくらい自分の弱さが出てしまっていました。
教室で呼吸を必死で整えて顔を洗って戻ったり、
休日の早朝誰もいない時間に仕事をしに行ったりするしかないという日々で、精神的に限界が来ていました。
二学期最後の一週間。
毎朝息が出来ないくらい泣いて、
言語化できない不安に押しつぶされて、
一日も出勤できませんでした。
思いを込めて書いた通知表、自分の手で渡せなかった。
その日で転出する子がクラスに2人もいたのに、会えずに終わってしまった。
もう、本当に、一生の後悔です。
悔やんでも悔やみきれない、本当に辛かった。今でもです。
1月から正式に診断が下りて、病休をとらせていただくことになりました。
私の意志とは反していたけど、主治医の先生から、半ば強制的に。
それにもう、そうするしかなかった。
これ以上曖昧な存在で居続けて子どもたちや先生方に迷惑をかけるわけにいかなかった。
悔しいし、申し訳ないし、どうしても自責がやめられませんでした。
まわりの先生方にご迷惑をおかけしてしまったことはもちろんのこと、
子どもたちに対して、
私が担任じゃなかったらこんなに寂しい思いや不安な思いはさせなかったのに、ごめんねごめんねって毎日思いました。
毎日成長する子どもたち。
2、3ヶ月近く会わなかったら、背もぐんと伸びて、
心も育っているんだろうな。
その成長に、携わりたかった。隣で支えたかった。
もう、私がいない生活に、慣れているんだろうな。
そんなことばかり考えていて、
全く気持ちが休まらない。
これがはじめての病気休暇でした。
いじめのことを、初めて書きましたが、
今でも自分では、
やっぱり元々私が打たれ弱いことや、
対人関係に大袈裟な恐怖を抱いてしまうところも、
原因だったと思っています。
あと完璧主義なのも。
お休みの日は遊びに出かけたり好きなことをしたりして、
息抜きもたーくさんしてたつもりなんだけどな。
どうも手を抜くって難しい。
どこでどう、うまいことやればいいのかわからない。
それは環境が変わった今も相変わらずです。
続きます。