我が家の子ども達が
外出先でも家の中でも
どこでも
何をしてても
急に
「ママ大好きだよー。」とか
「Papa, I love you so much!」と
結構頻繁に言ってくれます。
じいじやばあばにも言ってるみたいですが
それがいつも突然で
遊んでる途中や
ご飯食べてる途中
歩いてる途中
誰が周りにいようと関係なく
急に言いだすので
私の母が
「何を思って急に『大好きだよ』って言うんだろうね。」
と素朴な疑問を投げかけてきました。
私も
「嬉しいけど、今言う?
笑」
笑」と思う時はあったので
その疑問に思う気持ちもわかって
どんな時かな?と考えてみたところ
それに対してでた答えは
「ママ大好きだなーって思った時に
ただそれを言ってるだけじゃない?」
というシンプルアンサー。
自分が子どもに突然
「大好きだよー。」と言う時が
どういう時かな?と考えたら
そう感じて
それを想うだけじゃなくて伝えたい
と思って
伝えてるだけだから
それと同じだろう。
という結果。
頻度が多いだけ。
その夜🦉、、、
サムにその話をしました。
「ばあばが、ニコちゃん達は何を思って急にママ大好きだよって言うのかな?
って言ってたんだけど
アメリカでは子どもは普段から親に大好きだよって言う?」と。
そしたら
「うん。
日本人は親に冷たいっていうのはよく聞く話だよ。子どもが親に愛してると愛情表現をしないって。」
たしかに、、
親になかなか言わないね。
その後
アメリカの文化を柔軟に受け入れ
取り入れようと確実に変化してきた私に
衝撃の過去が。
「ゆかは昔付き合ってる時に、
『愛してるって毎日言ったら、意味なくならない?』って言ってたよ。」と。
恥ずかしいなー。
意味なくなるってなんの話?
何の意味がなくなる?
『愛してる』
と言うセリフの希少価値がなくなるみたいな事?
多分それだ。
そういえば
何かそんな価値観で生きてた時期があるような気がするぞ。
普段何かなかなか言わないセリフを
貴重な場面で言うことこそ美徳
みたいなよくわからない価値観に
影響されてる時期あった気がするよ。
生きてる時には無愛想で冷たくて
死ぬ時に初めて
「今までありがとう。」と言った夫。
みたいな感動話が昔あったような。。
いやいや
ありがとうって言えるところ
いっぱいあったはずやろ!
そういえば先日友人が
「由香里とサムさんってお互いに
『ありがとう』って
伝え合ってるの凄いと思ったんだよね。
何か取りに行ってもらった時に
『ありがとう。』ってその場で言ったのに
その後また改めて
『さっき取ってきてくれてありがとうね。』って言ってるの聞いて
何か、何か凄いな。って思った。」
と言ってくれました。
サムは
私が食器を洗ったら
「食器洗ってくれてありがとう。」
ご飯作ったら
「ご飯つくってくれてありがとう。」
洗濯したら
「洗濯してくれてありがとう。」
今考えてみると
ほぼ毎回言ってくれます。
私が毎日してるのではもちろんなく笑
サムも、家事は自分のやるべき事だと考えてくれてるので
仕事が休みの時は何か必ずしてくれます。
朝から夜まで仕事で疲れてる時は
「今日何もしてなくてごめんね。」と言ってくれる。
書きながら涙出そうや。
どんだけ優しいねん。
結婚したから
してもらうのが当たり前っていう感覚が
私達には無いのかもしれない。
我が家はありがとうで溢れてます。
あ、ゴミの整理整頓は
私はほとんどしないので
もしかしたら
サムの仕事と勝手に決めつけてるかも。
ごめんねごめんねー。
ありがとうって思うから
ありがとうって伝える。
愛してるって思うから
愛してるって伝える。
過去の私は
一体何をもったいぶろうとしてたのか?
というわけで
愛してるよ。
大好きだよ。
と毎日言い合う家族ですが
意味はなくなりません。(実証済)笑
それどころか
愛のある言葉は深まるよねー。
「ありがとう。」
「愛してるよ。」
「大好きだよ。」
の出し惜しみは
もったいないもったいない!
想ったのなら
感じたのなら
どんどん使いましょう✨

