永遠を生きる | 清野裕司・カンボジアで広告代理店経営

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〜アラフォー・脱サラ組〜

小さいころ、

死ぬことがすごく怖かった。



大好きだったアニメ「銀河鉄道999」

$事業所に机がない、部下100人の事業部長のブログ@清野裕司的日々

永遠に生きることができる機械の体を手に入れるために

過酷な旅を続けた鉄郎が、終着駅で気づいたことは、

生身の体の尊さ。


死ぬことができるから

「死ぬ気」でがんばれるんだと勇気が湧いた。




大学1年生の時、初めての一人旅でインドへいった。


ガンジス川の火葬場では

ものすごい数の遺体が運ばれてきては焼かれ、

そのまま川に流される。

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その光景を毎日眺めていた。


あまりの衝撃にこの感情をどう処理していいかわからない自分に

隣でいつも見ていたアメリカ人の青年は

「焼かれてなくなるだけだ」

と感情もなくつぶやいた。




留年して、改めて受講した哲学の講義は、

プラトンの愛=プラトニックラブ

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プラトンの考える愛の形は、

「美しいものを永遠と我がものとする愛」


肉体はやがて老いる、子供を産むということは、

美しい肉体を手に入れるということ。

子供を生まなくても、思いや感情は、

誰かの中に残すことができる。

自分が生きた証を美しい状態で永遠に残していくことが

プラトニックラブの本質だというような内容だった。



3、4年のゼミは「地域精神衛生論」

経済学部のゼミだけど、教授は精神科医。

卒論のテーマは、


痴呆(認知症)と、死の恐怖の関係


認知症は、死の恐怖をやわらげる、死の準備期間の役割があるのではないか?



死ぬのが怖かった自分にとって、

すばらしいシステムに思えてならなかった。



そして、特別養護老人ホームでボランティアを半年やった。

もう、1か月もしないうちに、その考えは間違っていたことを感じた


そこにいる認知症のお年寄りの方と接しているうちに、

嬉しい、悲しいといった感情はしっかり残っていることを感じた。

残りの5か月は、ただ、おじいちゃん、おばあちゃん達と一緒にいる

ことがなんだか楽しくて、卒論のことなんか忘れて通っていた。



家族、友人の死、海外で撃たれそうになった時、


それぞれの場面で死について考えてきた。





今は、心理学の学びを通じて過去のそうった思いが繋がって、

こう思う。


人間の肉体は必ず死ぬ。

この体は、灰となって土に還り、

養分となって、他の命に形を変えて生きていく。

僕が経験したことや、学んだことは、

後輩に伝えていくことで、

後世まで生きていく。

子孫を残していくことは、

ずばり永遠を生きることなのだろう。

そう考えると、死ぬことは、怖くない。




人類の先輩たちの英知を引き継ぎ、

後輩に伝えるリレーのランナーとして、

今、この瞬間をしっかり生きよう。
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