術後1296日目 母を看取る【2021年8月】
2017年12月29日に左前頭葉に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかり、2018年1月25日に無事、手術を終えた母。放射線と抗がん剤の標準治療を経て、月に1回の維持療法(テモゾロミド)を行っていましたが、2020年2月26日のMRI検査で、膠芽腫の再発、2020年3月13日から2週に1回のアバスチン治療を始めました。2020年10月30日のMRI検査で脳梗塞が見つかり、2020年11月13日にアバスチン治療を中止し、緩和ケアに移ることになりました。2021年1月10日、脳梗塞で緊急入院の後、1月15日に緩和ケア病棟に転院しました。1月22日にピックカテーテルを設置し、生理食塩水の点滴で水分補給。食事は流動食を経口摂取。7月9日に半年過ごした緩和ケア病棟からホスピス型介護施設に転院し、そこの先生から、意志の疎通ができない状態で食べさせては駄目と言われてしまいました。が、先生に手紙を書き、氷菓なら少しだけ、と一部OKを頂きました。●術後1296日目 2021年8月14日(土)施設訪問者のコロナ陽性が分かり、全面面会禁止の中、8月11日の昼過ぎ、急変で呼ばれ、母の部屋に泊まり込んで4日目。弟と妹は11日に一旦面会できたものの、密になるとのことで自宅待機に。『術後1294日目 数時間でもおかしくない【2021年8月】』2017年12月29日に左前頭葉に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかり、2018年1月25日に無事、手術を終えた母。放射線と抗がん剤の標準治療を経て、月に1回の維持…ameblo.jp『術後1295日目 面会の交渉と頻回な吸引【2021年8月】』2017年12月29日に左前頭葉に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかり、2018年1月25日に無事、手術を終えた母。放射線と抗がん剤の標準治療を経て、月に1回の維持…ameblo.jp1:30頃、1回看護が入ってる。6:00看護。熱37℃、血圧127/56、脈81、酸素98(夜か朝に4L→3Lに)、すこーしだけ、首周りに吐いた痕があります。吸引に血痰なし。相変わらず、お腹と胸で呼吸してます。昨日妹に差し入れて貰ったタブレットで、家の周りの桜の時期のお散歩動画を見る。8:27 口をぱくぱくさせる呼吸が始まったので、看護師さんを呼ぶ。(8/8にもあった下顎呼吸)『術後1289~1290日目 下顎呼吸にちょっと覚悟【2021年8月】』2017年12月29日に左前頭葉に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかり、2018年1月25日に無事、手術を終えた母。放射線と抗がん剤の標準治療を経て、月に1回の維持…ameblo.jp酸素3→4Lにして、一応酸素濃度は戻ったけど、これで様子をみるしか、とのこと。8:50ぱくぱく呼吸はまだ続いてる。妹から、もしもの時は、昨日みたいにみんなで声かけて見守れると嬉しいです。了解ですしかし、もしもの時が、私に分かるのか…確かに昨日電話中に苦しそうになったよね…あんな感じのときとか。8:59 ぱくぱく呼吸荒くなる。9:30頃、母の喉がゴロゴロするので、胸に手をあてて暫く様子を見て、看護師さんに吸引をお願いする。看護師さん、吸引してくれるも、何も引けない。大分後で気が付いたけれど、これ、「死前喘鳴」というやつでした。以前、本で読んで知っていた筈なのに、その時は気づかなかった…。あと、下顎呼吸時はエンドルフィンが出ていて恍惚状態なので苦しくないが、その時に酸素を入れてしまうと苦しくなるとか…事前に知っていたのに。第94回 看取り介護での安楽支援のために | U+(ユープラス) masaの介護・福祉よもやま話 | 内田洋行www.uchida.co.jp亡くなる前にみられる変化 | 訪問看護,訪問リハビリ | 八尾市 にじリハ訪問看護ステーション亡くなる前の前兆(亡くなる数時間前~数日以内) 人は死が迫ってくると、どういった症状がみられるのでしょうか?バイタルサインの測定も大事ですが、身体に起こる変化の方も大事になってきます。どういう事が起こるのか終末期の症状をまとめてみました。(nijireha-yao.com(これら2つの記事は、終末期にかかわる介護者・家族に読んでおいて貰いたい記事です。)9:50頃、ぱくぱく呼吸が収まり、ゆっくりとした呼吸に。ちょっと一安心。…してしまった私が馬鹿でした。9:55 定時の訪問看護。私は少し離れたところから、母の顔を眺めてました。10:00過ぎ? 酸素マスクが、ふーっと息で曇り、目が虚ろになったので、まずい、と思うと同時くらいに、血圧取れないと看護師さんが言うので、兄弟とTV電話(10:07〜10:37)。聴覚は最期まで残ると言うから、30分ほど、兄弟で母に話しかけました。もうちょっと早く、私が気づいていれば…と後悔しながら。暫くして、看護師さんが酸素マスクを外そうとしたけれど、私は、先生が来るまでそのままで、とお願い。しかし、先生、なかなか現れず。11:00頃、叔母さん(母の妹)と父方の親戚へ連絡。暫くして、左向きだったので、顔を正面に向け、目がうっすら開いてたので目を閉じ、口は開いたままだったので、顎を支えて何とか閉じさせようと頑張ってたところ、看護師さんが来て、タオルを顎下に噛ませてくれる。先生来るまでの間、私は母の枕元に、家族の写真を飾り、般若心経を唱えていました。13:00先生やっと到着。13:00御臨終です、とのこと。今、看護師さんが点滴等外し、綺麗にしてくれてるところ。看護師さんが身体を拭いてくれ、妹が母のイメージと言った水色の新しい浴衣に着替え。母の化粧道具も持ち込んでいたので、普段使ってたファンデーション塗って貰う。眉と口紅は私が描きました。妹から、親戚には来なくていいと言った方がいいかも。(コロナのデルタ株ピーク時期で)何かあったら大変だしリスクを背負ってまで来なくても、と思います。落ち着いた時にお線香あげにきて下さいくらいで。13:30頃、葬儀屋さんに連絡。直接安置所に運ぶか、家に帰るか聞かれ、もちろん家に帰ると。1月から、たったの30分しか、帰らせてあげられなかったから。それから、母の一番親しい友人に電話。本当は、弔辞を頼もうと思っていたのですが、「辛過ぎて参列できない」「お互い、病気になったら お見舞いには行かず、 元気な時だけ覚えていようね と話していた」とのことで、連絡だけに。兄弟に連絡。15:00に葬儀屋さんがこちらに来る予定。家に一旦帰るで良いよね。葬儀は早くて18日通夜、19日告別式とのこと。(お盆期間で、焼き場がお休みのため)妹に、手が空いてたら、運びたい荷物があるので、15時頃で良いので来てくれる?とお願い。14:50 葬儀屋さんのお迎え到着。15:00 ホスピス発。15:15頃 家着。母、7か月ぶりの我が家。やっと家に帰って来れて、良かったね、と思いました。葬儀屋さんが枕飾りと、ドライアイスをセットしてくれる。部屋のクーラーを17℃設定にして、真夏なのにフリース着て。巻線香とローソクを頂き、お通夜まで絶やさないようにする。夜半、スコールみたいな雨。涙雨だなぁ…と思いました。