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おはようございます鉄太郎です。


昨日の我が熊本はカンカン照りで私が氷だったら直ぐに溶けそうな感じでした。


やっと一昨日、我が九州北部は梅雨明けしましたが、その前までは雨は夕立ならぬ朝、一部地域で降った程度です。

朝は蝉が鳴き暑さになり拍車がかかりますね。

忘れておりましたが、暑中見舞い申しあげます。

さて、本日はお城についてお話をしたいと思います。

かつて日本には二万以上もの城があったと言われています。

しかし、戦国時代の数々の戦や外国との戦争、最後は明治の廃城令によって、そのほとんどが失われた。

現在天守閣のあるお城は全国で90ほど。そのほとんどが復元天守や復興天守の模擬天守です。

我が熊本県全城郭59個もあったらしい。
有名なのは熊本城である。

日本で最古の城は、国宝犬山城で1537年(天文6年)に織田信長の叔父、織田信康が築城しました。

天守は現存する日本最古のものです。扇状地である濃尾平野の扇の要に位置し、天守である最上階からの眺めは絶景である。

日本の最南端の城は沖縄県八重山郡竹富町波照間にある下田原城跡。日本最北に位置する城は最後に築造された北海道唯一の日本式城郭。1606年初代当時の松前藩主(松前慶広)が築造した居館である福山館だろう。(外国船への警備が目的で1854年拡張完成とか?)

主にお城は入母屋作りと望楼(遠くを見晴らす櫓)が合体して現在のお城の姿となったらしい。

(望楼型のお城が基本となったらしい)

日本最初の城は織田信長の小牧山城で小牧山の頂上に建てられ、その周りには石垣が最初に作られ、相手(敵)に力強さと権威を見せつけるのが目的とされている。

小牧山城へ向かう道を中心に商人たちが住み、小牧山城の中腹には家臣たちの館があったとされている。城とは見た目で人の心を揺さぶってこそ意味があると考えたのだ。

そして、小牧山から16年後、織田信長は安土城を完成させる。

織田信長は現在の観光事業の先駆けとして、安土城を一人十疋(十疋とは百文..現在の貨幣価値で約五千円程度)で安土城の見物客を受け入れた。

織田信長の死後、豊臣秀吉が信長の意志を引き継ぐ形で大阪城を作る。

大阪城の巨大な天守は天下人の威厳を示し見るものを圧倒した。

大きな堀と川で囲まれた広大な城下町は「威厳」「軍事」「経済」の中心地とした。

他に名城として名高いのが国宝にして世界遺産の姫路城。そして、三大名城の名古屋城・大阪城・熊本城である。

三大名城は城作りの名人と謳われた加藤清正、藤堂高虎によって普請されたものを指します。

(姫路城は三大名城に勝る名城ですが、加藤清正や藤堂高虎の手によるものではなく池田輝政によるもので三大名城には入っていません)

我が故郷の熊本城は城作り名人の加藤清正が普請。

城の南側には枡形と呼ばれるものが五つあるのは熊本城だけで防御の城としては完璧だ。

また、籠城しても耐えるよう城の周りには水を確保するために120もの井戸が掘られ、城の畳には干しずいき(里芋の茎を干した保存食)・壁には干瓢(かんぴょう)も塗り込まれ、食べられる城であった。

他にも熊本城は別名を銀杏城とも呼ばれ銀杏、城を囲む水堀には蓮根を栽培し、現在の我が熊本で有名な辛子蓮根はその名残とも言われている。

熊本地震において大きな被害が出た熊本城。加藤清正も活断層の存在など知る余地もなかっただろう。

本日はお城の話をしたつもりですが、最後は我が熊本自慢話になってしまいました。

我が熊本の観光は阿蘇・天草の国立公園がある。自然には恵まれた地域でもある。

(私はド田舎が大好きである。離島か五木村に将来永住したいものです)

本日は水曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」で過ごして行きましょう。

本日も皆様に少しの幸せが届くよう心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。

本日もブロ友さんの写真をお借りいたしております。