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おはようございます鉄太郎です。
昨日の我が熊本は晴れ。朝はやや寒かったが昼前から夏のようなお天気。
最近ブログを休んでいました。理由は気分が乗らないかったからです。
しかし、職場では私の黄昏れ場所が外にありますが自然に日焼けしたようてす。(私もたまには考えこむ時があるのです)
腕に時計の後の日焼けが...。
さて、本日のお話は歴史編で「お七里役人」についてお話いたしましょう。
昔の飛脚は「天馳使(あまのはせつかい)」、次に「丈部(はせつかべ)」といって、特別な健脚者が選ばれた。脚が軽いから「足軽」とも、また「飛脚」ともいわれている。
武家ではもちろん、専用の中間(ちゅうげん)」を飛脚として飛ばし、緊急の場合は早馬を飛ばしていた。
スピードは「忠臣蔵」の松の廊下事件を赤穂(兵庫県赤穂市あたり)へ知らせるのに、約609キロの道のりを約四日半で着いている。
(約百五十五里を昼夜で早駕籠を飛ばしての速度)
武家ではその他の通信機関として街道筋に「お七里役所」を設けていた大名もあった。
(御三家と大大名の藩に限るが、七里おきの宿場に役所を置き、藩士を常駐させていた)
お七里役人は通常は暇で暇で仕方ないのである。
派手な身なりで宿場内を歩いたらしい。しかし、悪事に手を出し、エスカレートして大泥棒にまでなった者がいた...らしい。
名を日本左衛門...本名、浜島庄兵衛でもとは金谷宿(東海道五十三次の二十四番目の宿場で現在の静岡県島田市あたり)の紀州藩のお七里役人だったといわれ、豪農の婚礼の夜を狙って押し入るなどの大悪党となった。
さらに殿様には内密で腹心の家来を情報収集屋として使ったらしい。
私も悪党だが日本左衛門とは名前がカッコイイ...。
最近では手を繋ぎ歩くカップルが羨ましく感じる。
本日は金曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごしていきましょう。
本日も皆様に少しの幸せが訪れることを心よりお祈りいたしております。
鉄太郎。