音楽でも聴きながらご覧下さい。(自分に負けないで)
おはようございます鉄太郎です。
昨日の我が熊本は雨の確率が30%だったので朝から傘を持ち会社へと出掛けた。
しかし、帰宅するまで雨は降っていない。
帰宅時には持って行った傘は職場に忘れ、職場の置き傘が3本となった。
私はおかしいのだろうか?
さて、本日はアメリカのNBAで活躍したケビン・ガーネット選手の言葉をご紹介いたしましょう。
もしかしたら、人生に通じるかも知れません。
(しかし、ホントは私は余りバスケットは本当は好きではない...直ぐに点数が入りすぎるしルールがイマイチ分からないかも知れない。特にブロックなど...だからVリーグは観戦したことがない。
だが、サッカー・ラグビー・野球・アメフト・相撲等はルールも理解し大好きだ。嫌いなスポーツはバトミントン・テニス・ゴルフ・卓球等かも知れない...個人スポーツ的なものかも知れない)
ケビンガーネットは、プロの選手期間は1995〜2016年までだった。
(但し、アメリカのバスケットは面白いと思う)
現在のNBAではドラフトでハイスクール(高校生)選手を指名することはできない。
しかし、1995年はハイスクールからNBAに入ることができたのでケビンガーネットは入団した。
今では精神的・技術的にプロの域に達していないためドラフトにはされないとされているが、実際はNCAA(全米大学体育協会)側への配慮からだという。
しかし、1995年は高校生がプロを志願でき、高校生ルーキーのケビン・ガーネットは、ミネソタ・ティンバーウルブスに入団する(ミネソタ⇒ボストン⇒ブルックリン⇒ミネソタ)。
身長211㎝。手足の長い生まれつき恵まれた体型で俊敏だったケビン・ガーネット。
初年度の前半は当たり負けするものの、後にNBA屈指のオールラウンダーとして脚光を浴びることとなる。
1998年には、6年総額1億2600万ドルというNBA最高額で契約を更新。2004年にはMVPに選出される。
しかし、しばしば自分よりもチームを優先して「積極性に欠ける」と批判されることもあった。
”Mr.Everything“とも呼ばれ、オールラウンダーが創り出す密度の濃いプレースタイルだったのは確かだ。
それは自分との戦う時間だ。ケビン・ガーネットは「試合で戦う時間は短い。自分と戦う時間が勝敗を分ける。」と名言を残している。
バスケットも人生も同じだろう。「生きている時間は短いが、向上心、努力を惜しまず戦うことで人生の勝敗が決まる」のかも知れません。
2007年12年間過ごしたティンバーウルブズを離れてボストン・セルティックスに移籍し、そのシーズンのセルティックス優勝の原動力となった。
そして、2022年にセルティックスで着用していた背番号「5」は永久欠番となっている。
本日は金曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。
本日も皆様に少しの幸せが届くよう心よりお祈りいたしております。
鉄太郎。