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おはようございます。熊本の爺こと鉄太郎です。


昨日の我が熊本は晴れ。何時もの時間に何時もの電車、バスに乗車して仕事場へと向かう。


しかし、帰宅時は直行のバスに乗り帰宅時につくのだが、道路混雑により時間が長くかかる。


昨日もバスに乗車していた時間は50分。バス内のアナウスは「道路混雑等により遅れております。お急ぎのところ誠に申し訳ございません」だ。


私は独り身なので思い浮かぶ言葉があります。


「悲しい時は身一つ」...です。確か、松江頼重の言葉だったと思います。


何故か寂しいイメージの言葉ですが、本当の意味合いをよく取れば良い意味合いにもなります。


「辛く、苦しい状況に陥ったとき、誰かに支えてもらいたいと思うこともある。



ですが、どんなに親しい友でも自分の気持ちを完全に分かってもらうことはできない。


自分の悲しみや辛さを本当に理解できるのは自分だけ。

どんな困難に陥っても、それを受け止めるだけの強さも、自分は持っている。

一人、その痛みに耐え、受け止めた先には、より成長をした自分との出会いが待っているのではないのでしょうか?」

言葉自体は寂しく感じるが、意味合いは上記の通りだと思います。


さて、本日のお話は「あばずれ」です。

任侠映画や小説では、ヤクザ(893)が情婦と喧嘩をするシーンで「あばずれ」という言葉がよく登場します。

「このあばずれ女が、他の男に色目を使いやがって」…とか、「おまえのようなあばずれは、先が知れている」などと、ケチョンケチョンに使われる。

「あばずれ」とは、人ずれがして、あつかましい女性のことをいう。

しかし、その昔は男性も「あばずれ」を使っていた。

その「あばずれ」、元は「悪馬ずれ」で、賭博場や遊郭など悪所の悪習に染まった男女をさしたものとみられる。

あるいは「暴れ者」が転じたという説もあるが、こちらも賭場や遊郭で暴れるような男女という意味合いだ。

私は「あばずれ」ではないではないですよ


博打(競馬・競輪・競艇・オートレース・麻雀)、女性に色目はしたことがない。

また遊郭系にも全く無縁の私。


ただし、たまに、パチンコに酒は飲みに一人で行きますがね。

本日は木曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。


本日も皆様に少しの幸せが訪れることを心よりお祈りいたしております。


鉄太郎。