音楽でも聞きながらご覧下さい。(昔はよくカラオケで歌っていました。しかし、当時の若い女性にはモテなかった)
おはようございます。熊本の爺こと鉄太郎です。
昨日の我が熊本は晴れ。日中は熱中症対策のアラームがSNSから流れた。私は買い物も行かず、冷蔵庫にあるもので夕食に晩酌を済ませた。
本日は中秋の名月(満月)である。月餅を頂戴したので本日はスタッフにも配り、人生が丸くなるようにしたいです。
(中国の習慣から…。)
月餅を頂戴した先には御礼の葉書は出した。本日のお天気は晴れ時々曇りなので名月を拝めそうである。
現代は光の世界だが、江戸時代の名月は雰囲気があったとおもいます。
今からちょい酒(明日にのこらない程度に前夜祭)をして寝たいとおもいます。
さて、本日は江戸(東京)の繁盛を称えるのに、よく「江戸八百八町(808)」というので説明致しましょう。
江戸八百八町とは正確には江戸時代初期のころを指し、徳川幕府が安定し、政治・経済の日本の中心地となるや、どんどん膨張(ぼうちょう)して、世界一の大都会となった。経緯は以下の通り。
1713年には八百八町を既に通り越して九百三十三町(933)、1747年には千六百七十八町(1678)となった。
そして、1781~1788年(天明年間)の調べでは、千七百七十町(1770)となっている。町数はこれが最高で八百八町の約2.2倍ともなる。
それをなぜ遠慮して言ったのか疑問だろう。
「八」というのは「五三八」…嘘(うそ)のゴサンパチともいい、アテにならない三数字である。
八は「嘘八百」ともいい、「三五の君」ともいう。
《三五の君とは、江戸時代に京都、島原の太夫(たゆう…最高位の遊女である花魁…おいらん……かな?)が銀五十三匁(53もんめ)だったことから、その異称になったとか?
また、太夫の口から出る甘い言葉「わちきは惚れんした」が眉唾(まゆつば…騙し言葉かな?)から、いつしか「怪しい」と評判になった》
また、八は「八百万神(やおよろずのかみ)」というように「八」の数字には多いという意味がある。
人口は1721年の調査で武家が52万~53万人、町人などが同じく52万~53万人で約104万~106万人とされた。これは当時ヨーロッパの最大都市である都会、フランスはパリの54万人を遥かに越え、江戸はまさに世界第一の都市だったと言えますね。
私の名前も飯田鉄太郎…メシだ。カネを失う太郎から、酒呑五三八(さけのみいさんぱち)に変更しようかな?
本日は火曜日。本日も「明るく」「元気で」「笑顔で」過ごして行きましょう。
本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
鉄太郎(五三八)。
本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
鉄太郎(五三八)。