音楽でも聴きながらご覧ください。(カラオケでたまに歌います)

おはようございます。熊本の爺こと鉄太郎です。

昨日の我が熊本は曇り時々雨、私はアパートの湿気の多い部屋でほぼ1日を過ごしました。しかし、夕食が無くスーパーに買い出しに行きました。昨日は手羽先の日だったので手羽先を餌にビールをちょびっと飲んでしまいました。

昨日のコロナ新規感染者は、全国で新たに76人の感染者。東京都47人(うち夜の街関連32名)、北海道7人、北九州(福岡)2人、山梨県1人、大阪府2人、空港の検疫で14人などの感染が発表された。(昨日、亡くなった方はゼロでしたが、埼玉県では13名の死者を未公表だったらしい)

本日に日付が変わってから我が熊本は雷に強い雨が降っています。梅雨…疲れます。体にカビでも生えそうです。

本日は梅雨に入る前に、山へ散策に行った際に、日本アカガエルと思われる蛙に出会ったので本日は「蛙の子は蛙」でもお話しましょう。

「蛙の子は、卵→おたまじゃくし→蛙」だと思うのだが、何故か、「蛙の子は蛙」という。

政界、医師、芸能界、財界だけでなく、スポーツの世界でも、二世が多い。子が親の実績を上回るケースもあれば、とてもかなわず、親の七光で名前ばかり有名な息子や娘もいるようだ。もちろん、親子両方とも優秀なケースもある。

そんな親子を見て、「いやー、さすが、蛙の子は蛙ですねぇ」などと言ってしまう人がいる。もちろん喜んでくれる人もいるかも知れないが、それは言葉を知らない人だ。

言葉をよく知る親子なら、バカにされたと思う。蛙は、姿形はそう美しいものではなく、進化の状態からいっても、けっして高等動物の仲間には入らない。

褒めるのなら、もっとちがった動物がいくらでもいるはずである。鷹の子は鷹でもいいし、獅子の子は獅子だっていいだろう。

蛙をもちだしてきた以上、それは「凡人の子は、やはり凡人である」という意味なのだ。そんな蛙に例えられ、親子揃って喜ぶようでは、蛙の親も蛙の子も蛙だといえる。

「蛙の子は蛙」の意味は、平凡な親から生まれた子供は平凡である。「子供の性質や能力は親に似るものだ」というたとえで、よく使われることわざとして有名です。持って生まれた能力や、育つ環境によって、子供はどうしても親の性質に似るものです。

「子供が親に似る」というのは普通ですが、「子供は親以上にはなれない」というマイナスのニュアンスが含まれています…なので使い方には注意が必要です。

本来、生まれたばかりの蛙の子は、親とは似ても似つかぬ姿をしている「おたまじゃくし」です。しかし、やがて成長するにしたがって、親と全く同じ蛙の姿へ変貌します。このことが転じて、「結局子供は親に似てくる」、「蛙の子は蛙にしかならない」という宿命が由来となっています。

「蛙の子は蛙」は褒め言葉には適さない。「謙遜する時に使える」言葉なのです。

本日は月曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑みをこぼして」「帰宅後は丁寧に手を洗って」過ごして行きましょう。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることを心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。
昨日の夕食です。