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おはようございます。熊本の爺こと鉄太郎です。

昨日の我が熊本のお天気は朝からは晴れ、昼過ぎからは曇り空でした。私は昼過ぎに風呂に浸かり髭を剃ってスーパーへ買い物にいきました。

ラグビーのサントリーとNTTをテレビ観戦いたしました。

本日の我が熊本のお天気は晴れています。私は今まで寝ていました。(二度寝してました)本日の予定は料理作りで、外出の予定もありませんかね。

さて、本日はちょうちん(提灯)についてお話いたしましょう。

提灯とは、照明具の一種。割り竹を骨とし、それに紙や絹をはって風を防ぎ、中にろうそくをともすようにしたもの。しまう時にはたためる。種類が多い。

提灯について書かれた最も古い文書は、1085年に書かれた「朝野群載」、絵画は1536年の「日蓮聖人註画讃(巻第五)」とされている。当時の提灯も折りたたみ可能な構造であったが、張輪は付いていなかった。

江戸時代以前は、上流階級において宗教的な祭礼や儀式に使われた。江戸時代以降は蝋燭が普及したため、庶民も照明器具として使うようになって行く。

提灯の歴史は、日本において古くから伝わる伝統文化品でありながら、現代においても和の雰囲気を色濃く醸し出す装飾品として、また雰囲気のある看板代わりとしても作成され利用され続ける提灯。

現代における提灯の原型となったものは、やはり他の文化と同様、中国から渡ってきたと考えられています。

それがいつ頃のことだったのかははっきりしませんが、室町時代(西暦1336年~1573年)の初期の頃にはすでに日本にあったとされています。

しかし、それは竹籠に紙を張っただけの折り畳みができないタイプでした。そしてこれは私たちが想像するような現代における電灯のような利用方法ではなく、葬儀などに使用する特別なものだったとされています。

そんな提燈の折り畳みタイプが生み出されたのは室町時代末期、天文年間(西暦1532年~1555年)の頃から安土桃山時代(西暦1573年~1596年)の間だと言われています。

細く割り丸く癖付けした竹を骨としてそれに和紙を張り、上下に伸縮が可能なこの構造は日本のオリジナルアイテムだったのです。

一般庶民の間にまで普及したのは更に100年以上も先の江戸時代中期頃でした。それまでロウソクは高価なものとして庶民には手が出せないものでしたが、この大量生産化が可能となり、その販売価格も格安になるとそれに伴って提灯も広く一般的に普及していくのです。

そしてオーダー提燈は日本の伝統文化品として今日にも受け継がれ、様々な祭事に利用されると共に、庶民的な居酒屋の看板としても活躍し続けているのです。

さて、本日は日曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑みをこぼして」過ごしていきましょう。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈り致しております。

鉄太郎。