我が熊本は9月(長月)に入って日に日に涼しくなってきました。

北海道での胆振地震、私のブログ仲間達も停電に水にて苦労されたようだ。

私も2年半前に熊本地震で震度6強を二度も経験したので北海道の仲間の気持ちは察することが出来る。
(未だに熊本でも余震がある…当時、熊本地方での地震の発生確率は1%だったらしい)

我が熊本では「頑張るばい熊本」。「負けんばい熊本」のキャチフレーズがある。

北海道の皆様も心をひとつにして頑張っていただきたいもの。

さて、全米オープンテニスで大坂なおみ選手が優勝。日本中が地震で悲しみの中、嬉しい出来事ですね。

さて、本日はフリークライマーだったトッド・スキナー言葉をご紹介しましょう。

繰り返しになりますが遠い昔にもご紹介いたしました。単純ではあるが、私の好きな言葉なので再度ご紹介いたします。

先ずはトッド・スキナーのご紹介をしましょう。

1958年アメリカのワイオミング州に生まれ、1980~90年代を代表するフリークライマーであり、前人未到の山々でラインを開拓していったが、2006年10月、アメリカの国立公園のリーニングタワーから懸垂下降中、150メートル以上落下して亡くなった。享年47歳だった。

生前のトッド・スキナーの元にはアメリカの多くの企業経営者が指導をあおぎにやってきた。

よく人生は登山にたとえられことが多いが、彼の言葉もまた、人生における教訓やビジネスモデルとして尊ばれた。

正確に言えばスキナーは登山家ではなくフリークライマーだ。フリークライミングとはロッククライミングの一種で自らの肉体と岩壁にある裂け目などを使い登るスポーツで使用する道具も安全のための確保用具のみ、常に危険と隣り合わせなのだ。

スキナーは登攀ラインの未開拓の山に挑んただ。なかでも難攻不落と言われた6250メートルもあるパキスタンのトランゴ・タワーに登攀を目指すことを発表したときには、誰もが無理だと口を揃えた。

しかし、彼は勇気を持って挑戦。クライミング界の歴史に残る偉業を成し遂げた。

そうやってスキナーは世界26ヶ国数百箇所に挑戦して成し遂げた。

人生とは登山にたとえられると前にも記述しましたが、爺もその通りだと思います。人間には苦しみや悩みを誰もが持っているが打破するの容易なことではない。

しかし、スキナーのように自分を信じることができるならば辿る者が少ない道がしばしば目覚ましい成功に至ることがある。

スキナーのこの言葉は我々を頂点への彼方へと導いてくれるだろう。

極限の状態で山々に挑んできた男の残した言葉がこれだ……。

『まずは一歩前へ。それができればもう一歩だって足を踏み出せるはずだ』

「一歩を踏み出せるるなら、もう一歩踏み出せる……」…。

皆様方も一歩踏み出してみましょうね。最初は小さい一歩かも知れませんけどね。

今日は日曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」「思いやりを持って」過ごして行きましょう。

くまモンの爺は皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りしています。


くまモンの爺。


私は夜勤明け。今からビール飲んで寝ます。
おやすみなさい。