今晩わ…。
超超デブで白髪の禿げチョビン。そして、バケツを被りバットで叩いたあとのような顔で、オマケにアル中のぺぺ爺でございます。
昨日の朝9時から本日の朝9時までの仕事を終えて正午前にアパートへ帰り、朝食(当然、ビール付き)を取り、2時間ほど睡眠を取り、クリーニング屋に出掛け、現在はアパート近くの食堂にて夕食(酒飲み)を取っています。
私はビル内の警備を担当しているが、ビル内のテナントの職員さんやアルバイトさんと出来るだけ声をかける。
昨日は、本日でアルバイトは終了して就職します…お世話になりました…と反対に声をかけていただいた。嬉しいものである。
(アルバイトの学生さんは熊本大学の学生さんが多い)
さて、昨日まで磯田道史さんの本を読んでいた。
約400年前に慶長三陸地震があり、東北地方に大津波がきたことがあるそうだ。
その慶長大地震(1611年)のあとの8年後に肥後八代地震(1619年)、14年後に肥後熊本地震(1625年)があったという。
まさか、東日本大震災の後に熊本を再び地震が襲った。どうやら中央構造線の地震は連動しやすいらしい。
1596年にはわすか5日の間に伊予(愛媛)・豊後(大分)・伏見(京都)でも地震が発生している。
今回の熊本地震後にも大分県を震源とした地震も発生している。
まだ、我が熊本も一難去っても安心は出来ないだろう。
東日本大震災の記憶はメディアにて強烈な揺れの後に大津波の残像は残っていた。
同じ日本人として東日本大震災の記憶は絶対に忘れることは無かった。
(東日本大震災後の半年後に福島・宮城・岩手を観光したが、被災地の皆様のご心痛は計り知れないなかった)
そして、我が熊本での大地震である。前震に本震と二度大きな揺れ…。
前震は2016年(平成28年)4月14日、21時26分頃、本震は同4月16日、1時25分頃、双方とも我が熊本市内でも震度6強の激しい揺れだった。
私は二回ともベッドにて寝ていたが、これで命は終わったと思った。
その後も余震が続いたので我が地域の避難所の中学の体育館へ一時、避難したのだが、人で溢れ、激しい余震がくるたびに住民が悲鳴をあげていた。
私は避難所(中学校体育館)に行く前に自販機でお茶を3本程購入して行ったのだが、避難してきた老夫婦が喉が渇いたとのことで内2本を渡した。
その後、避難所にて生活したのだが、トイレは劣悪、トイレの水が流れないのでプールの水を使用。バケツリレーにも参加した。
その後、水・食料(おにぎり・パン・バナナ)の配給はあったが、個数に制限があり、私には回ってこなかった。
(中には食料を持っているのに列に並ぶ子どももいた)
最後には体育館の場所で老人から、昨日からこの場所を取っているのに(昼間は自宅に帰宅していてもぬけの殻だったのに)…と言われて仕方なくアパートへ帰った。
水道水は全く出ず、冷蔵庫の冷凍庫にウイスキー用に冷凍していた水を使用した。
(熊本地震以降…富士山の水をパックにて購入している…今では3箱も溜まっている)
地震…怖いものです。
しかし、火山国日本、プレートが集中する日本、世界で発生している地震で我が日本が一番多い。
ラジオ、水、懐中電灯、携帯の充電器、軽い薬品、ウェットティッシュ、軽い食事(カンパン・缶詰)等は準備しておくのが良いだろう。
私は棺桶に腹くらいまで入っているが、子どもたちだけは長く生きて欲しいものである。
さて、本日は火曜日。本日も、明日も「明るく」「元気で」「笑顔で」過ごしていきましょう。
本日も明日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
ぺぺ爺。