おはようございます。超デブで白髪の禿げ、キモメンのぺぺ爺でごさいます。

昨日の朝からの仕事を終えて今、路面電車にて帰宅途中です。疲れ果てました。
(今からスーパーに立ち寄り、ビールにおつまみと朝食等を買って、アパートにて朝酒の予定ですよ…アル中ですからね)

さて、本日は「江戸時代の町」についてご紹介いたしましょう。

江戸時代の繁栄を讃えるのに、よく「江戸八百八町」という。

それは江戸時代の初期のことで、徳川政権が安定して、政治・経済の中心地となるや、どんどんと膨張して、当時としては世界一の大都会となった。

1713年頃には八百八町を通り越して九百三十三町、1747年頃には千六百七十八町。1781〜1788年の調べでは、千七百七十町となっている。町数ではこの頃が最高で八百八町の約2.2倍になる。

「八」は「嘘八百」といい「五三の君」といった。「八」は当てにならぬ象徴だった。不謹慎だが「八百万神(やおろずのかみ)」には「八百八」の数には多いという意味があったからである。
(中国人は八は大好きだ)

江戸の町は1721年の調査では武家が52万人〜53万人。町人が武家同様52万人〜53万人で合計の人口は約101万人〜106万人の大都会だった。
(当時のヨーロッパ最大の都市はパリで人口は約54万人程度だ)

さて、本日は木曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょうね。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。

ぺぺ爺。
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夕陽の有明海に雲仙普賢岳です。