おはようございます。太っちょ・禿げちょびんで醜い顔のぺぺ爺でございます。
本日の朝も快晴の我が熊本である。
昨日の日曜日もお天気よし、気温も日中は室温で33度超えであった。私は連日部屋に閉じこもり、野球などをテレビ観戦していた。
本日は久方ぶりに外出して散歩する予定である。
本日のお話は「チンギス・ハン」である。
歴史上、最大領土を誇った大帝国がモンゴル帝国である。そのユーラシア大陸を舞台に、東は朝鮮半島から西はアラブにヨーロッパ、北はシベリアまで征服し、巨大帝国の基礎を一代で築きあげたのが、初代皇帝のチンギス・ハンである。
モンゴル族の有力者の子どもとして生まれ、将来を嘱望されてが、である父親が、タタール族に謀殺されたことで権力闘争に巻き込まれて行く。
しかし、成人して頭角を現すと、権力闘争に勝利し、父親の敵であるタタール族まで打倒する。
その後、モンゴル平原を平定し、46歳でチンギス・ハンを名乗り、モンゴル帝国を建国した。
まさに征服王なので、侵略・虐殺は当たり前として、その性生活が特に壮絶。歴史書「元史」によれば、名前がわかっているだけで39人もの妻がおり、その中には実の姉妹も含まれていたというから恐ろしい。
さらに側室や愛人が多数いて、征服地の女性を必ず自分の元に連行させて強姦したのだから、どれほどの絶倫皇帝だったのだろうか。
種馬のようにばら撒き続ければ、どうなることか。子どもを増やし続けた結果、5代皇帝クビライの時代に確認されただけで、5系統の家族が存在。庶子の系統を考えれば膨大な数に至り、一説には現在もチンギス・ハンの血を引く子孫は1600万人とも言われており、ビックダディどころのレベルではない。
あまりにも急速に帝国の版図を拡大したために、どこまでが領土なのかわからなかたという話や、チンギス・ハンの死が前線の将たちに伝わらかった話もある。
領土も性欲も遺伝子さえも、あまりにも巨大すぎる男だったと言えるだろう。チンギス・ハンの墓は現在でも不明で子孫の誰がチンギス・ハンを祀ったのかも不明なのだ。
チンギス・ハンは西暦1162年〜1227年で65歳で死んだと言われている。
☆ぺぺ爺談。
私も過去には精力には自信がある(私もチンギス・ハンの子孫かと)と思ったがチンギス・ハンには敗北である。
今はもう遠い遠い昔の話である。
本日は月曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」一日を楽しく過ごして行きましょう。
本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
ぺぺ爺。