おはようございます。超デブでハゲ、身の丈はあと少しあった方がよい。顔はタイガーマスクのマスクを被りたいキモメンのぺぺ爺です。
(タイガーマスクはカッコよすぎかも)

昨日の土曜日は素晴らしい冬晴れのお天気の我が熊本でしたが、アパートの室内で日向ぼっこを楽しみ、散歩へは出掛けませんでした。

さて、本日のお話は「手塚治虫」さんをご紹介いたしましょう。

アメリカにウォルト・ディズニーがいるなら、日本には手塚治虫さんがいると言われた。

クールジャパンの中核にある漫画家は、手塚治虫さんがいなければ、現在までのアニメや漫画の日本文化ここまでの隆盛はなかったとも言えるでしょう。

「漫画とアニメの神様」だ。だが、障らぬ神に祟りなしのことわざどおり、日本の漫画神、手塚治虫さんには残念な性格もあった。

それは異常なまでの嫉妬心と負けず嫌いな言動だ。

例えば「ゲゲゲの鬼太郎」でヒットした水木しげると、あるパーティーで初対面するや否や、自己紹介もそこそこに、「あなたの絵は汚いだけ」「あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ」と言い放ったとか…?

さらには、ゲゲゲの鬼太郎に対抗して妖怪漫画「どろろ」を発表した。

また、石ノ森章太郎さんの実験的漫画「ジュン」に対しては、徹底的にコキ下ろす否定的な評価をして、尊敬してやまない石ノ森章太郎を絶望に追い込んだりした。

後に手塚治虫さんは石ノ森章太郎さんに「アレを認めたら漫画家として負けだと思って」の否定だったと認め、謝罪している。

また、「ドカベン」など野球漫画の水島新司さんとの初対面の時には、「君はいいよねえ。野球漫画だけ描いていればいいんだから」などとも言っている。

「ドラえもん」の藤子不二雄がFとAにコンビ解消時には「これで同等に勝負できる」「二人がかりでは勝てないが一人ずつなら勝てる」とも言ったと伝えられている。

しかし、そんな嫉妬の数々も、漫画の神様と言われまでに上り詰めながらも、さらに凄い作品を追求するがゆえ。劇画ブームで自分の作品にない要素が受けていることに悩んだ時は、「ブラックジャック」で対抗するなど、神様は常に進歩し続けたのだ。

外国に輸出された日本テレビ番組第1号は、手塚治虫さんの「鉄腕アトム)である。

1963〜1966年の12月31日までの全193話だ。アメリカでのタイトルは「アストロボーイ」に改称された。

手塚治虫さんの自伝には名称の変更の理由について「アトム」は英語で「オナラ」を意味するスラングだったから…と書かれていたが、実際のところは「スーパーマン」の出版元であるDCコミックス社が「ジ・アトム」という名前のスーパーヒーローが発行されており、訴訟される可能性を考慮して、改名した模様だ。

私は手塚治虫さんの「火の鳥」が好きだった。鉄腕アトムは私の少年期頃のテレビ漫画だった。

☆ぺぺ爺談。
「本日も無し」

本日は日曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごしていきましょう。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。
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ぺぺ爺。