おはようございます。元気もりもりの爺でございます。

昨日は天気も良かったので自転車でお出掛け。久方ぶりの20キロコース。疲れましたね。

途中駐車場に立ち寄り爺の車にエンジンをと思い鍵を回したのですが、プスリともしませんでした。半年間駐車場に置いたままでしたから仕方ありません。

しかし、やっと新しい携帯で写メを撮ることが分かり撮りました。昨日はやや寒かったこともありサクラの花はチョイと早いようでした。

菜の花・阿蘇の山等を撮りましたので最後に添付いたします。

さて、先日の参議院予算委員会の中で元芸能人で自民党の三原じゅん子参議院議員が「八紘一宇(はっこういちう)」を肯定的に取り上げたことが話題となっている。

もちろん爺も初めて聞く言葉だったので少しだけ調べてみました。

平凡社の創業者で本格的百科事典を刊行した下中彌三郎氏が1930年代に唱えたのが「八紘一宇の実現」だった。

若き日の下中彌三郎がのめり込んだは、労働運動。また、ロシア革命を絶賛し、行き過ぎた資本主義を厳しく批判した。

特権階級者ばかりが財を蓄積し、庶民が貧困を強いられるシステムにノーを突き付け、平等社会の実現を追求した。

また、下中彌三郎は福祉の充実にも熱心で相互扶助を実現し、助け合いのコミュニティーを作ろうとした。

ここまでは「八紘一宇」は良い考えなのだが、「八紘一宇」とは「日本書記」に記載された神武天皇の言葉「八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)に為(せ)んこと、またよからずや」に由来する。

これは全世界を一つの家にする理想とされ、「天皇による世界統一」を称揚する言葉として使用されていた。

下中彌三郎氏は日本主導に人類統一を訴え、その理想の中に資本主義を越えたユートピアを見つけようとした。

要するに下中彌三郎氏は天皇政治を無私の独裁として絶賛し、皇国思想で世界を救済する意義を唱えたのである。

果たして三原じゅん子さんは、下中彌三郎氏の考えと思想を理解して八紘一宇という言葉を使用したのだろうか?

新聞の社説みたいになりましたね。すみません。

話は変わり、一昨日サッカーをテレビ観戦していたら不思議な光景を。サガン鳥栖のユニフォームの背中にハウステンボスの文字。

地域密着のJリーグなのに、サガン鳥栖は佐賀県。ハウステンボスは長崎県。お隣の県にある。

長崎県にもJリーグのビファーレン長崎の選手の背中にあるべきでは・・と感じた爺でございます。

さて、本日は火曜日。爺の洗濯の日。今回は沢山あります。仕方ありませんね。頑張ります。

春の寒さを少し感じる本日ですが「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょうね。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。

まだサクラは早かったようです。


菜の花。




遠くから見た阿蘇山。



爺。