おはようございます。爺です。
昨日の我が地方のお天気が最高に良く暖かく春を感じる一日でした。
午前は病院へ入院して初めて生活必需品以外で外出散歩をゆっくりといたしました。病院の周りの散歩を10分程だったと思います。
午後からは中庭にて日向ぼっこしながら読書。わずかですが快復へと階段を登っているような気持ちです。
まだまだ口は軽やかですが、身体がついてこない。まだまだシンドイです。
また、昨日はターゲス(糖尿の検査で採血6回)。爺の場合はデブなので、血管が出ないので看護師さんにはご迷惑をお掛けいたしました。
普通の人だと注射針を刺し、6回で済むのだが、爺は全部で13回注射針を体内に刺されました。検査ではなく針治療治療のようでした。
両腕に手のひらの甲に絆創膏だらけですよ。まぁ~…なんとかなるでしょう。
さて、本日のお話は最近では全く買い物にも行かないコンビニのセブンイレブンのお話です。
セブンイレブンは日本のコンビニの元祖である。
しかし、現在ではローソンに売上額とシェアで抜かれたものの、純利益ではローソンよりはるかにセブンイレブンの方が勝る。
①ローソン 。
(売上高)19,065億(シェア)31.8%
②セブンイレブン。
(売上高)18,991億(シェア)31.7%
③ファミリーマート。
(売上高)15,845億(シェア)26.4%
④ミニストップ。
(売上高) 3,526億(シェア) 5.9%
⑤スリーエフ。
⑥ポプラ。
⑦山崎製パン。
現在では夜間でも営業しているコンビニは、皆さんにとっては生活の一部にもなっているのかもしれない。
コンビニエンスストアの出発点は純利益1位を誇るセブンイレブンである。
もとはアメリカのコンビニチェーンで発症はテキサス州。
電気冷蔵庫が普及する前は、どこの町にも氷屋があった。この氷屋が毎朝7時から夜11時まで営業するようになり、日用品や食料品も揃えるようになった。
これが現代のセブンイレブンにつながったねである。最初に日本がコンビニエンスストアの存在を知ったのはイトーヨーカ堂。
そのイトーヨーカ堂に入社して9年目の鈴木敏文さんだ。コンビニエンスストアの形態が日本の消費者ニーズに合うと考えた。
しかし、イトーヨーカ堂では将来性も懐疑的な未知の新事業に経費や人材をかけてくれない。
そこで鈴木敏文さんはコンビニエンス事業を推進すべく当時のオーナー伊藤雅俊からプロジェクトの許可を得る為に…。
「失敗したら自分が保有している自社株(イトーヨーカ堂株)で穴埋めします」…と鈴木敏文さんが宣言。
(今では損失補填は罰せられる。自分が穴埋めします…と聴いたら現在では疑う人物になる)
こうして、1973年(昭和48年)コンビニエンス立ち上げプロジェクトが始まった。
チームのメンバーは新聞広告などで集められた素人軍団。
アメリカのセブンイレブンを束ねていたサウスランドコーポレーションからフランチャイズ権を得て経営手法の指導を受けた。
分厚いマニュアル(指導書)も入手してやったが、米国と日本の生活の習慣の差から上手くはいかなかった。
そのため、日本人の生活習慣を特化した手法に転換して1974年(昭和49年)5月、東京都江東区豊洲にセブンイレブン一号店をオープン。
以来セブンイレブンは売上を伸ばし国内小売店の最大手にまで駆け上がる。
1991年には経営不振に陥ったアメリカの本家サウスランドコーポレーションを逆に日本法人の傘下に収め、3年で黒字化に成功した。
現在では世界各国に「7」を見つけられるのも、当時の鈴木敏文さんのおかげなのだ。
イトーヨーカ堂は知らなくともセブンイレブンは知っている人が多いようだ。
コンビニ、たまにコンビニの有無で田舎の度合いを比較する人も皆様方の中にはいるかも知れない。
今は不良はコンビニ集合のようだが、爺の時代はラーメン屋だった。時代は日一日と変化しているようだ。
変化のないのは爺だけかもね。
さて、オチを付けたので本日はおしまい。
本日は月曜日。皆様方は本日も今週も「明るく」「元気に」「笑顔で」お過ごし下さいね。
本日も爺は皆様方の「ご健康」と「少しの幸運」が訪れることをお祈りしております。
爺。
昨日の我が地方のお天気が最高に良く暖かく春を感じる一日でした。
午前は病院へ入院して初めて生活必需品以外で外出散歩をゆっくりといたしました。病院の周りの散歩を10分程だったと思います。
午後からは中庭にて日向ぼっこしながら読書。わずかですが快復へと階段を登っているような気持ちです。
まだまだ口は軽やかですが、身体がついてこない。まだまだシンドイです。
また、昨日はターゲス(糖尿の検査で採血6回)。爺の場合はデブなので、血管が出ないので看護師さんにはご迷惑をお掛けいたしました。
普通の人だと注射針を刺し、6回で済むのだが、爺は全部で13回注射針を体内に刺されました。検査ではなく針治療治療のようでした。
両腕に手のひらの甲に絆創膏だらけですよ。まぁ~…なんとかなるでしょう。
さて、本日のお話は最近では全く買い物にも行かないコンビニのセブンイレブンのお話です。
セブンイレブンは日本のコンビニの元祖である。
しかし、現在ではローソンに売上額とシェアで抜かれたものの、純利益ではローソンよりはるかにセブンイレブンの方が勝る。
①ローソン 。
(売上高)19,065億(シェア)31.8%
②セブンイレブン。
(売上高)18,991億(シェア)31.7%
③ファミリーマート。
(売上高)15,845億(シェア)26.4%
④ミニストップ。
(売上高) 3,526億(シェア) 5.9%
⑤スリーエフ。
⑥ポプラ。
⑦山崎製パン。
現在では夜間でも営業しているコンビニは、皆さんにとっては生活の一部にもなっているのかもしれない。
コンビニエンスストアの出発点は純利益1位を誇るセブンイレブンである。
もとはアメリカのコンビニチェーンで発症はテキサス州。
電気冷蔵庫が普及する前は、どこの町にも氷屋があった。この氷屋が毎朝7時から夜11時まで営業するようになり、日用品や食料品も揃えるようになった。
これが現代のセブンイレブンにつながったねである。最初に日本がコンビニエンスストアの存在を知ったのはイトーヨーカ堂。
そのイトーヨーカ堂に入社して9年目の鈴木敏文さんだ。コンビニエンスストアの形態が日本の消費者ニーズに合うと考えた。
しかし、イトーヨーカ堂では将来性も懐疑的な未知の新事業に経費や人材をかけてくれない。
そこで鈴木敏文さんはコンビニエンス事業を推進すべく当時のオーナー伊藤雅俊からプロジェクトの許可を得る為に…。
「失敗したら自分が保有している自社株(イトーヨーカ堂株)で穴埋めします」…と鈴木敏文さんが宣言。
(今では損失補填は罰せられる。自分が穴埋めします…と聴いたら現在では疑う人物になる)
こうして、1973年(昭和48年)コンビニエンス立ち上げプロジェクトが始まった。
チームのメンバーは新聞広告などで集められた素人軍団。
アメリカのセブンイレブンを束ねていたサウスランドコーポレーションからフランチャイズ権を得て経営手法の指導を受けた。
分厚いマニュアル(指導書)も入手してやったが、米国と日本の生活の習慣の差から上手くはいかなかった。
そのため、日本人の生活習慣を特化した手法に転換して1974年(昭和49年)5月、東京都江東区豊洲にセブンイレブン一号店をオープン。
以来セブンイレブンは売上を伸ばし国内小売店の最大手にまで駆け上がる。
1991年には経営不振に陥ったアメリカの本家サウスランドコーポレーションを逆に日本法人の傘下に収め、3年で黒字化に成功した。
現在では世界各国に「7」を見つけられるのも、当時の鈴木敏文さんのおかげなのだ。
イトーヨーカ堂は知らなくともセブンイレブンは知っている人が多いようだ。
コンビニ、たまにコンビニの有無で田舎の度合いを比較する人も皆様方の中にはいるかも知れない。
今は不良はコンビニ集合のようだが、爺の時代はラーメン屋だった。時代は日一日と変化しているようだ。
変化のないのは爺だけかもね。
さて、オチを付けたので本日はおしまい。
本日は月曜日。皆様方は本日も今週も「明るく」「元気に」「笑顔で」お過ごし下さいね。
本日も爺は皆様方の「ご健康」と「少しの幸運」が訪れることをお祈りしております。
爺。