もう…何を日々の雑学を書いたか忘れた爺である。昨日は自宅アパートにてミミズク生活。

散歩に出ようと思ったが、下痢気味で取りやめ…。外出したのは、就活の履歴書と略歴書を郵便局に自転車で行き飲み物を買いに行った程度。

しかし、退院して静養するのも独り身でもやる事が結構あるものだ。

自炊に茶碗洗いなど大変だ。主婦は凄いなぁ~と思った。

さてと、今日の話題は昔にも記述したかもしれないが「ストライキ」について記述いたしましょう。

ストライキ…とは労働者の権利だが、ストライキ…と聞くと現JRの前の国鉄を思い出す。

爺が新入社員の頃には、国鉄と営団地下鉄の双方がストライキにより、止まり、会社の寮に女子社員を含めて泊まった記憶がある。

日本での初のストライキは明治19年(1886年)に現在の山梨県甲府市の雨宮製糸場が苛酷な労働条件に反対してストライキをしている。

現在のストライキは、賃上げ要求がほとんどだが、昔の日本は待遇改善がほとんどだった。

国鉄では過去には、蒸気機関車の乗務員の職名の改正を要求していた。

蒸気機関車の運転手は「機関方」、火を焚く石炭を入れる係りは「火夫」と呼ばれていた。

「火夫」たちは、文明の利器の蒸気機関車を動かす技手である…と改名を要求してストライキ。

結果、会社側が職名の改正を受け入れ「機関助手」に改められ、待遇も改善されたそうだ。

今の世界でもストライキや座り込み、エジプト・ブラジル・ヨルダンなど大統領の交代や貧富の差の改善などだろう。

中国の反日デモは、貧富の差が日本という国名を借りてだろう…。

話が大きくなった。爺の悪い癖である。さて、本日は雨の降る予報だが、雨が降らなければ、あるかねば…。

さて、我が地方ではチラホラ、クマ蝉が鳴き声が聞こえている。

さて、本日も暑くなりそうな我が地方だが、皆様方も「明るく」「元気に」「笑みをこぼして」「思いやりを持って」過ごして行きましょう。

爺は皆様方の「ご健康」と「少しの幸運」が訪れることを本日も爺はお祈りしています。

爺。