入院中ながら、自分の思うがままに今朝まで牛飲をして、フラリンコです。
この後が皆様方の読める文章に、なっていれば良いのですが…?

さてと、昨日は七夕の為に爺の説法は中止いたしましたが、本日は説法やりますか…?

今日は天台宗の有名な僧侶「慈眼大師 天海(じげんだいし・てんかい)」の言葉です。

天海の生涯は謎につつまれ、明智光秀ののちの姿という面白い説まであったが、徳川家康に帰依(きえ・・神仏などすぐれた者に服従し、すがること)を受け、家康の死後も二代秀忠・三代家光にも重用され、比叡山延暦寺の再建、上野寛永寺の造営を成し遂げた。

同時期に家康の正僧(黒衣の宰相(さいしょう・・僧侶の大臣みたいなもの)済家(ざいけ)の僧、以心崇伝(いしん すうでん)もいたが、天海の方が評判は良かったようだ。

天海と崇伝が家康の神号を、明神にするか権現にするか言い争ったとき、天海は豊臣秀吉が「豊国大明神として祀られいることを指摘して、自説の東照大権現に決定させたという逸話の持ち主だ。

『長命は粗食、正直、日湯、陀羅尼(だらに・・呪文やお経と思います)、おりおり御下風(おかふう・・オナラのこと)あそばさるべし。』…といい…。

『気は長く、つとめはかたく、色うすく、食ほそうして、こころひろかれ』とも長寿の条件と残している。

天海は歴史学者の調べでは、1643年10月2日に黄泉の世界へ旅立ったが、この年代では長寿も長寿で107歳(織田信長の「人生50年」の舞からすると)と高齢での旅立ちであった。

粗食以外なら爺はやっていけそうだが、粗食は難しい。でも、何時の時代も正直者は同じのようである。

長い説明付き説法になってしまいました。失礼いたしました。

ここからが本題です。昨日は石川県のお話を記述いたしましたので、今日は「北海道のお話」です。

昨日も話題にしましたが、現在の日本の行政区分は都道府県だ。東京が「都」になったのは戦後のこと。それまでは東京府だった。

それにしても、北海道だけが「県」ではなく「道」なのか違和感がある。「北海県」ではなくが「北海道」?

北海道もかつて「県」だったことがある。しかも、三県に別れていた。
明治15年(1882年)、廃藩置県で生まれた全国の名前と共に、「函館県」「札幌県」「根室県」が生まれた。

しかし、この頃の人口は、函館県で14万人強。札幌県は10万人弱。根室県は1万人余りだった。また、千島・釧路・網走・足寄(あしょろ)まで広がる面積は現長野県の2倍もの広さ。

現北海道の面積があまりにも広く、人口が少なかった為に、県を置いたところで成果は上がらない。また、行政区分が別れていると当時では開拓に不便。

そこで、昔の東海道・山陽道と同じで「北海道」として県が発足して4年後の明治19年(1886年)に三県を廃止して「北海道」と命名された。

北海道はかつて、「蝦夷地」は有名だが、本格的に日本国政府が統治の手を伸ばしたのは明治維新後であり、北海道の開拓あたった人々は本州や九州までおり、相当のご苦労があったと言われている。

現在の北海道は行政をスムーズにする為に、北海道内を14支庁に分けているが、この区分は、市や郡とも異なる独自ものとなっている。

此れにて北海道が何故「道」になったのかお判り戴けたでしょうか?

さて、今日は日曜日。皆様方はご家族との団欒をされることでしょう。
独法師(ひとりぼっち)の爺。でも、爺もこれからですよ。

今日も「明るく」「元気に」「笑顔で」「情け(思いやり)。仁」の気持ちで過ごして行きましょう。

爺は、皆様方の「ご健康」と「少しの幸せが届くように」日々お祈りしています。

昨夜から自宅アパートに外泊中の爺ですが、昼過ぎに(夕刻)までに病院に帰ります。

爺。