音楽でも聴きながらご覧ください。

おはようございます鉄太郎です。


昨日の我が熊本は茹だるような暑さでした。

私はアパートを一歩も出ずに部屋でエアコンをフルに活用いたしました。

さて、本日のお話は世界初の輸血のお話です。

輸血をする歳には血液型を確認して副作用等が無いように万全の配慮をした上で行われるのが現代です。

しかし、世界最初に輸血が行われたのは日本では江戸時代にあたる1667年とされている。

イギリスに住む内科医が22歳の青年に輸血をした記録があるそうだ。

また、フランスでも同じ年に15歳の少年に輸血を行った記録がある。

上記の2件の輸血はどちらも成功に終わった。

しかし、患者に輸血されたのはどちらも人間の血液ではない。

現在のように血液型のチェックどころか動物の血液を人間に輸血して成功しているのだ。

普通なら激しい拒絶反応がでそうなものだが、イギリス人青年は輸血中に発汗があったがその後はすっかり元気になった。

フランスで輸血を受けた少年は全く副作用がなかったばかりか、深い昏睡状態から回復するほどの効果があったという。

どちらの事例もある動物の血液を輸血したのが、それは「羊」の血液を輸血したものだ。

当時の人々は若返りの為にと、人間の若者の血液を輸血した者が次々と拒絶反応で死亡。


その後1670年台には輸血禁止となったそうだ。


本日は月曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。

本日も皆様方に少しの幸せが届くよう心よりお祈りしております。

鉄太郎。

本日もブロ友さんの写真をお借りいたしております。

音楽でも聴きながらご覧下さい。

おはようございます鉄太郎です。


昨日の我が熊本は朝、職場へと向かうアパート近くJRの駅まで向かう道のりは曇り空でしたが、駅のホームに立った瞬間から豪雨となりました。


電車の中でも雨でしたが、職場近くの駅に到着すると晴れとなり、本日は運が良いと感じたので帰宅時はご褒美として焼き鳥をエサにビール2杯と冷酒を4合飲んで、タクシーで職場近くの駅からJRの駅から電車に乗車して帰宅した。


お土産に焼きおにぎり2ヶも頼み、持ち帰りました。


さて、本日のお話は「イクラ」と「明太子」のお話です。

「イクラ」は鮭の卵のこと。しかし、これは、ロシア語なんです。ロシアでは、どんな魚の「魚卵」でも「イクラ」と呼びます。

そして、「明太子」は、韓国で「スケトウダラ」のことを明太(ミョンテ)と言う。

スケトウダラの子(卵)を子で、日本語では明太子と言う。

しかし、日本も狭いようで広い。
関東では、明太子と言えば、辛子明太子。
辛子明太子の本場の博多では、明太子とは「タラコ」のことで、明太子と辛子明太子は区別して使われているようです。

魚卵には、タンパク質、ビタミン、ミネラルなどが豊富に含まれた良質な食材であるらしい。

私はスーパーにておにぎりを購入する際は、明太おにぎり、昆布おにぎりを購入しますね。

また、昔話でも...。
昔々、お腹を空かせた旅人が裕福そうな家の前を通りかかりました。

お腹を空かせた旅人は門前に立ち、「私は何日も食べ物を口にしていません

少しで結構ですから食べ物を分けてはいただきませんか」...と家の人に頼みました。

ところが、「お前に分ける食べ物などない」と追い払われてしまいます。

次に旅人は、いかにも貧しそうな家を訪ねて同じお願いをしました。

すると、貧しい家の人たちは旅人を快く迎え入れ、少ない食料を旅人に分け与えた上に、一晩泊めてくれたという。

実は、この旅人は旅の途中の神様でした。

神様はのちに、裕福な家の人たちに病気を与え、貧しい家の人たちには富を与えたのことです。

「人との分かち合い」は喜びに感じ「人との分かち愛」にしなさいということだ。

困っている人にさえ手を差し伸べられない。人はいくらお金があっても決して心が満たされることはない。

私はまだ新札に出会ったことがない。よっぽど縁(円)がないのだろう。

本日は土曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごして行きましょう。

本日も皆様に少しの幸せが訪れることをお祈りいたしております。

鉄太郎。

本日もブロ友さんの写真をお借りいたしております。

音楽でも聴きながらご覧ください。

おはようございます鉄太郎です。


昨日の我が熊本は朝から蒸し暑かったです。年寄りでデブな私には身に堪えました。

先月まで乗車していたコミュニティバス(ゆうゆうバス)がなくなり、代行として「チョイソコくまもと植木(乗り合いタクシー)」にて、最寄りのJR九州植木駅から仕事場まで日々使用しております。
(料金は往復300円)

コミュニティバスは17時以降は無かったのですが、「チョイソコ」は18時まであるので帰宅時も使用しております。

さて、本日のお話は「ロバの耳」です。

ギリシャ神話を題材にしたお伽話(メルヘン)に「王様の耳はロバの耳」というのがある。

町の理髪店がミダス王に呼ばれて、その髪にハサミを入れるのだが、その時、王様の耳がロバのような耳だったことを知る。

「王様の耳がロバのような耳だったことを誰かにお喋りすると命はないぞ」といわれた理髪店。

理髪店は約束を守り黙っていた。しかし、だんだんとお喋りしたくてムズムズしてきて、とうとう我慢できなくなり、遠くの山へ行き穴を掘り、その穴に向って「王様の耳はロバの耳」...と何回も大声で叫んで穴を塞いで帰った。ストレスの発散法かな?。

何か「欲求不満」を感じたときは、他人に迷惑かけずに工夫して吐き出すと良い...という思いがこめられているようだ。

そもそもミダス王がロバの耳になったかというと...。

ミダス王は地位が高くて贅沢な暮らしをしていてが本当の幸福とは無縁であることを悟った。

そこで山での暮らしに憧れ身を隠して自然と触れ合う生活を堪能する。そこへ音楽の神様が現れ、ミダス王に質問をする。

私の音楽と自然とどちらが素晴らしいのか?

ミダス王は音楽の神様に「恐れながら、自然の音楽の方が良いと思います」と応える。

音楽の神様はミダス王に向い「お前は本当の音楽というものを知らないのだ」という。

音楽の神様は、「私は自然の持つ素晴らしさを否定はしていない。自然は豊かな音楽を持っているが、混沌としつつも自然と音楽とが融合する特徴がある。

真の音楽は自然の囁きの中から音の美しさなどを探し出してアレンジしたものであるから、音楽とは素晴らしいのだ」と音楽の神様が言った。

しかし、ミダス王は音楽の神様のいうことに理を感じながらも快く従わなかったという。

そして、音楽の神様の不興をかって「ロバの耳」にされたのだ。

自然とは限りなく広くて大きいもの。その自然の中には測り知れないほどの知恵や自然の法則が含まれている。

自然の囁きやリズムは、小鳥の囀り、虫の声、風と林がもたらす響きが素晴らしい。そして奥が深く、我々に鋭気をもたらしてくれる。

自然からの音の美しさや響き、囁きを感じ取り、音楽を作る、聴く、ハーモニーなどを楽しむ。

自然の原理や法則を探って作るのが音楽の神様の意志だったのだろう。しかし、王様の耳をロバにするような出来事でもないような気がするが?

音楽とは、人それぞれ感銘するものが違う。
自然から学びはすると思うが自然だけでは決して奏でられない。創造する世界でもある。

音楽とは自然と涙の溢れる音楽もあるが、自然と自分の心が融合したものが、良い音楽なのだろう。

おしまいに口説い話になるが、人の一生も自然に学び、自分の心の法則を見出し、自分に取り込むことかも知れません。

音楽だけに限らず、人の話や映画・本・テレビドラマでも良い言葉や話。自然の囀りや虫の声、川の流れる音の などと同じく、自分にアレンジして心の中に取り込むことが必要なのだろう。

私の好きな音楽はさまざまである。若者の曲も聞くが馴染めない。

一番好きな曲はコブクロと絢香が歌う「あなたと」かも知れないが日によって違う…!

私も音楽の神様にロバの耳にされ、UMA顔が日に日に酷くなるやも知れません。

昨日の夕刻から暇だったのであなたが愛される理由と奴を引いて見た。全く嘘だと思いますね。
あなたの知られざる魅力などは全く無いと思います。

本日は金曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごしていきましょう。

本日も皆様に少しの幸せが届くよう心よりお祈りいたしております。

鉄太郎。
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松山千春さんの歌に「恋」がある。最後にそれでも「恋は恋」と歌う!

私はそれでも「恋は池の鯉」とカラオケで歌います。