核とレアメタルとバイオ・エタノールと、北極の氷 | 本橋ユウコの部屋

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タイトルにあげたものの共通点は何でしょうか?

それは、いずれも今現在、世界の国々の激しい資源獲得競争の戦場となっている、そのまっ只中にあるモノ、という点です。

核とは、いわずと知れた核兵器の核。原子力発電所のエネルギー源でもあります。
(日本は結構、原子力発電による電力に多く依存していますが、原料の核物質は日本ではほとんど採れないため、はるばる船で外国から輸入しています。)

次の、レアメタルというのは少し説明が必要ですかね?(といっても、もぐは生粋の文系人間なのであまり詳しいことは言えないので、あくまで一般的なところです。詳しく勉強したい方は専門のサイトを探してね!)
レアメタルというのは、”希少金属”と翻訳されている、鉄や銅、アルミなどを除いて産業用に利用できる産出量の少ない特殊な金属の総称、だそうです。大雑把でスイマセン。。
よく聞くところではゲルマニウムや、リチウム、タングステンなどがそうです。いずれも用途や製法が限られていて、取引価格も不透明な部分が多いらしいのですが、特に半導体産業などでは不可欠な物質です。

バイオ・エタノールと、最後の北極の氷、についてはとりあえずここでは置いておくことにして。


まず、もぐは、今の世界情勢がとても、数十年前の二度の世界大戦の直前、に似ているという危惧を、しばらく前からずっと抱いています。
それは、各国の利益、そしてエゴイズムがむき出しになってぶつかり合う状況、ということです。
そうしたことが最もわかりやすく表れたのが、最近の資源の獲得競争だと思うのです。

今、世界中で色んなものが激しい”取り合い”になっているのです。

ニュースとかで耳にしているかと思うのですが、バイオ・エタノールの問題。
あれは、早い話が「穀物」をあっちこっちで取り合っているのです。
穀物といっても、食べるわけではありません。じゃあ何で穀物を取り合いになってるのか?

地球温暖化(ここでは説明は省きますが)、という深刻な問題がまずあって、その進行を少しでも食い止めようと大国同士が話し合って「石油とかの化石燃料から出る二酸化炭素がいけないんだよ!だから化石燃料以外の燃料に転換したり、自国の土地に二酸化炭素を吸収する緑を増やした国にポイントをあげることにしようよね!」と、取り決めをしたのです。

で、その結果、各国内で例えば車を走らせるためのガソリンを、植物から採ったバイオ・エタノールと呼ばれる物質に換えた人には税金を安くしよう、とか、そういう「クリーンな」燃料を製造する業者には補助金をあげよう、とかいう制度を作ったらしいのです。
すると、その穀物(あるいは植物)生まれの「クリーンな」燃料はガソリンよりも安い、ということが起こって、みんながどんどんそれを使おうとする流れが出来る。

欲しがる人が多い物は、作る人もたちまち増えるものです。トウモロコシからバイオ・エタノールが採れる国ではトウモロコシを、サトウキビから採れる国ではサトウキビを、アブラヤシの実から採れる国ではヤシの木を、栽培したがる農家ばかりがあっという間に増えました。
これが緩やかに、適切な範囲で起これば、あるいは問題無く確かに環境のために良かったのかも知れません。しかし、これらの変化があまりに急速に進んだために、考えられた当初は誰も予想もしていなかったようなことが起こり始めてしまったのです。

本当はそれを食べなければならない人の分の穀物までが、燃料のために使われる結果になったのです。

わかりやすく例えると、「車」と「人間」が同じ”食べ物”を奪い合う形になってしまった。
しかもこれは、フェアなルールの上の取り合いではないのです。

考えて下さい。車を持っているのはどんな人でしょう?車を買うお金を持っている人です。
お金を持っている人のための商品を作る会社は、やはり大きくてお金をたくさん持っています。
そのたくさんあるお金を使って、高い値段を払って穀物をみんな買い占めてしまうのです。
(しかも、その中には将来の値上がりを期待して買ったまま貯蔵しておくような人もいたりして…)
車ではなく、その日の食事のためにしか穀物を利用できない、つまり貧しい人たちは、後回しにされてしまったのです。そのため、メキシコなどでは「トルティーヤをよこせ!」とデモが起こったりしました。

他にも問題はあります。
バイオ・エタノールは食用の穀物以外にも、サトウキビやヤシなどの繊維の多い植物からも採れます。
このため、本来は小麦などの食用の農作物をずっと生産して来た農家が、高い売値に誘われて、食用にはならないバイオ・エタノール用農作物の生産に転作をする。
これが世界中で続くとどうなるか?

遠くない将来、圧倒的に食用(家畜の飼料用も含む)の農産物が不足する、ということです。
だって、作る人がどんどんいなくなるのだから。
そうやって穀物が不足して、今度は穀物の値段が跳ね上がれば、そっちを作ろうとする人もまた増えるのでしょうが、そう簡単に穀物のためのよく肥えた畑には戻せないし、転作が済むまでの期間には、不足した食料のせいで世界中で非常に多くの餓死者が出るでしょう。
あちこちで紛争が起こるかもしれません。

では、だからといって各国の農家の人に「それを作るのをやめろ」と言えるでしょうか?
独裁国家や、共産主義の国でない限り、そんなことは出来ないのです。
だって、誰だって豊かになりたいし、なる権利がある、と言うのが資本主義の大前提だからです。

農家の人というのは、苦労して土からみんなの食べ物を作っている、とても重要な仕事をしていながら、都会に住んで品物を右から左に流しているだけの人たちよりも不当に貧しい境遇に置かれている、というような「恨み」をどこかでずっと持っていると思うのです。近代以降は特に。

そういう人たちが、やっと今、自分たちで”より現金が儲かる作物”を選択して作ろうとすることに、誰が「それは間違っている」などと言う権利があるでしょうか?その境遇を生きたことの無い者に?

とりわけ、食料の9割近くを海外からの輸入に頼っている日本のような国の人間には。


バイオ・エタノールとは全く違う事情で、奪い合いになっているのがレアメタルです。

これは地球上全体で見ても大変少ない量しか存在が確認されていない物質群で、つい最近までは利用法もほとんどわからず”金にならない”扱いしか受けていなかったのですが、近年の急速な技術の進歩でにわかに重要性が増してきたという側面があります。
そして、もう一つの側面として、それらが産出される数少ない土地が、中国やロシアなどが抱えている、かつての広大な「不毛の原野」である、という面です。
これらの国は、国家の政策として需要の増大が見込まれるレアメタルの輸出を制限し、いわば「資源の囲い込み」を推し進めています。そのため、世界的に供給量が不足して大幅な値上げを呼んでいるのです。
輸入国の日本としては大いに困るわけです。

たとえば、日本が得意とする大型・薄型テレビの画面の表示技術に欠かせない物質も、レアメタルの一種だそうです。このように、日本のような、自国内ではほとんど資源を産出せず、海外から輸入した産物に高い技術力で加工を施して、高価な製品にして輸出する…というスタイルの国はよほど慎重にやらないとこの先、生きていけなくなる可能性があるということです。
あまり原材料が高騰すれば、それが製品の値段に跳ね返り、高くなった製品は売れなくなるので。

では、そんな大事な資源をひとりじめしようとするロシアや中国はけしからん、囲い込みなんかやめろ、と命令できる正当な権利を持った人がこの世界にいるでしょうか?
そんなひとはいません。
何故といって、必ず彼ら(かつて貧しかった国々)は、「お前たち(いわゆる先進国)が、我々を長い間、不当に貧しく置いたのではないか」と反論してくるからです。
広すぎる国土、混在する様々な民族、厳しい風土…などの理由によって、これらの国は現在、先進国と呼ばれている国に比べて近代化が遅れました。
さらに周りの国同士の戦争にまきこまれたり、外国政府の介入を受けて国内政治が安定しなかったりで、面積や人口の上からは大国でありながらずっと貧しさを抱えてきました。今でも中国などは目を覆いたくなる程の貧富の差に苦しんでいます。

彼らは、ずっと長いこと、貧しさのために誇りを傷つけられてきたのです。
なんとしても豊かになりたい、そう思っているのです。
数百年、数千年の間貧しかったのに、今豊かにならなくていつなるんだ!?と言う。
それに”NO”という権利を、豊かな国に生まれた私たちは持っていないと思うのです。
数千年の間貧しかった、その境遇を知らない者には。

ロシアの人で「北極海の氷が全部溶ければ、安上がりに資源を採掘できて便利になる」といった人がいるそうです。これを「なんて地球環境に配慮のない、野蛮な発言なんだ!」と怒るのは簡単です。
しかし、それはやはり、豊かな国に生まれた人間のエゴ、と言われるのかもしれません。

本当に長い間、国家的な貧しさに苦しみ、やっと豊かになろうとしている、何が何でもなる!そう強く思っている国の人たちからしてみれば。

”鯨の保護”より”白熊の絶滅”より、自分たちの暮らしの方が差し迫って重要に決まっていますから。


そして核。

ヒロシマや長崎の悲劇を幼い頃から繰り返し刷り込まれている日本人にとっては、「何であんな非人間的な、世界最悪の兵器を欲しがるやつが多いんだ?頭おかしいんじゃないか?」となりますね。
しかし、それだけでしょうか?
核エネルギーを欲しがる国(日本のような)と、核兵器を所有したがっている国(一部アラブ圏の国等)は、厳密には一緒に語れないのですが、ある「飢え」を抱えているという意味では共通しています。

核エネルギーの場合にはそれは「資源」であり、核兵器の場合にはそれは「力」と「誇り」である。

資源のない日本にとっては、核は輸入に頼らず、しかも永久に利用可能な”夢のエネルギー”でした。
現実は、利用技術の進歩が思ったより遅く、いまだに安全性を確保できずにいる有様ですが。
そして、核兵器を持ちたがる国の多くは、隣国との火種を抱えています。
つねに「あいつが攻めてきたらどうしよう」という相手がすぐ近くにいる。しかも、そうなった時に誰も助けてくれる保証はない。となったらどうするか?
首をすくめて、やられないようにビクビクし続けるしかないのか?

そんな時に人間が採る行動はほとんどきまっています。
自分を攻撃してくる相手より、「強い武器」を持とうとすることです。
それこそが、人類を根絶やしにできる”究極の殺人兵器”としての「核兵器」なのです。

ここまでつらつら語って来て、「そんな非道なことはやめろ」と言えるでしょうか?
そんなことはできないはずです。

常に外敵の脅威に曝され続ける、その境遇を生きたことの無い者には。

特に、超大国である同盟国の核の傘に守られ続けてきた、平和ボケの我々日本人には。


せっかく読んでもらって残念なのですが、この話に結論はありません。
まだ私自身がそれを手に入れていないからです。
でも、この先これらの問題を解決していかなくてはならないのは我々、若者なのです。
色んな問題が起こる時、その相手を憎んだり、非難したりするだけでは何も解決しません。
どうしてその相手がそれほど頑ななのか?
どうしてこの相手はこのようなことをするに至ったのか?

そういう深い思慮が出来てこそ、議論とか交渉とかもうまく運ぶのではないかと考えるのです。

100%正しい答えなど、永久に見つからないとしても。