宇徳敬子さんの『幸せの予感』 | もぎた亭れもんのブログ

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テーマが「Mi-Ke(宇徳敬子さん)」「小松未歩さん」がメインの趣味まっしぐらなブログです。

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 さて、前回に続きシングルのカップリング曲です。『愛さずにはいられない』のカップリングである『幸せの予感』についてあれこれ。

 この曲は12年前の三月の発売ということで、Mi-Keの最新アルバムの発売から三ヶ月しか経っていない時期のものなんですね。
 でも、この頃の宇徳さんのシングル曲に関してはもうMi-Ke色が薄く、というか脱色されているくらいのものです。しかし…。
 今回の『幸せの予感』は今改めて聴くと、なんだか、Mi-Keっぽさがほんのりと感じられるような気がします。いや、まあ、この曲を聴いてMi-Keを感じるかといえばそうではないんですが、このブログをはじめてからMi-Keの曲についてあれこれ言うようになってから改めて聴くと、なんとなく、という感じです。ちなみにこの曲は作詞、作曲共に宇徳さん自身によるものです。

 幸せの予感 そんな気がしてる ルルル、、、

というサビ始まりで、楽しい気分になるリズムのこの曲。これまで「Mi-Keあれこれ」の記事に付き合ってくださった方なら分ると思いますが、これ、Mi-Ke時代なら前ふりですよね、このあと絶対にいいことありませんよ、Mi-Keの場合。
 この始まり方にちょっとMi-Keっぽさを感じずにはいられないんですが、その後の展開はといえば…。


・すべて違うけどあなたと なるようになりたい ずっと

・こんなに近くにいるのに あなたの心の瞳 遠視じゃないの
          いつも遠くの夢ばかりみてるのね 私にできることなら何かしてあげたい

・今をリアルに感じたら なるようになるさ きっと


という歌詞を見る限り、どうみても幸せの予感真っ只中、いや、ここまできたら幸せ真っ最中のままです。で、結局は冒頭の歌詞のリピートで終わっていきます。明らかにMi-Ke体質の女性とは一線を画しています。
 Mi-Ke時代の主人公はもう、私だけ見て、という願望の強い女性でした。あの子とお茶してたり、あの子とあっていたりしただけで、心乱され「ヤダ サイテー」などと言う始末。それに比べれば『幸せの予感』における「私」は幸せの予感に浮かれてますが、大人ですね。「なるようになるさ」というこの余裕。Mi-Keの曲における主人公にはまったくと言っていいほどなかったですよね。
 また、Mi-Keの曲に出てくる男は『幸せの予感』の歌詞にあるような「いつも遠くの夢ばかりみてる」人ではなかったように思います。みているのは夢ではなく「他の女性(あの子)」というのがほとんど。
 
 最後に。この曲において私が一番印象に残っている歌詞ですが、

・誰にも負けないくらい もっと弱くなれたら

というのがあります。これは、歌詞の流れからいえば「私が弱くなれば、遠くの夢ばかりみてるあなたでも、こっちを向いてくれるかな?」ということだと思いますが、これ、面白いですね。Mi-Ke時代の主人公には絶対に浮かばない考えでしょう。だって、弱いですから、Mi-Keの曲の主人公は。

 宇徳さんの初期の頃の曲を使って改めてMi-Ke時代の曲と比較してみると、面白いものですね。て、自分勝手に面白がってるだけですが…。