違和感を感じました。
神頼みって
公衆の面前で言葉に出して
宣言するものか?
わたしの中のイメージは
人知れず願うこと。
御百度参りもそうですよね。
ひとに観られたらご利益がなくなる、とか。
そんなことを考えていたら
アタマになだれ込んできた言葉。
『キセキ』
奇跡は神頼みでは起きない。
神様は奇跡は起こせない。
神様ができることは、
道に外れたものを元の位置に戻し
与えられた事を遂行させること。
わたしはそう思います。
例えば、重ぃ病気をした人
もしくは
その身内の方が
『神様どうか助けてください』
と神頼みをしたとします。
そしたら程なく病気が治りました!
それはそもそも
そこで命を落とす予定ではないから。
神様は本来の軌道に戻してくれたのですね。
逆も然り、です。
同じ状況で同じお願いをしたとします。
しかし、程なくして命をおとす…
それはその人の命が
そこまでのものだった。
神様は無理くり無くなるはずの命を
長引かせて苦しませることはせず
予定通りの時期、
魂を元の場所に戻したのだと思うのです。
そして
『奇跡』
それを起こせるのは
この世界に命を持ったもの。
わたしはそう思います。
大切な小さい命。
例えば、わんちゃんや猫ちゃん。
人とともに暮らすことが多くなった子たち。
無理矢理な繁殖や
人間にとって都合の良いように
改良された子たち。
自然ではないので
疾患を持った子も
多くなっているように思います。
そんな子と運命的な出逢い。
動物達は本当に真っ直ぐな気持ちで生きます。
迎い入れたひとは
生活を共にするうちに情がわきます。
疾患を持った子が
何とか生きながらえるよう
手を尽くします。
その子のために心を痛めます。
エールを送ります。
「大丈夫かっ!?」
「ガンバレっ!!」
その想いのエネルギーが
キセキを起こす
とわたしは思うのです。
『想いは届く』
それは神の元へ
ではなく
想いの先に
です。
枯れそうな蕾のお花に
「キレイに咲いてね」
と想いを送ります。
するとキレイに咲き誇る。
願う気持ちが相手に届き、
キセキが起こる。
命あるものの
チカラ
ですかね

