痕跡器官（こんせききかん）とは、退化によって本来の用をなさなくなった器官が、わずかに形だけがそれと分かるように残っているものをさす。

ヒトの耳殻の筋肉、盲腸ー虫垂、尾骨など100に近い痕跡器官が存在するといわれる。

洞窟昆虫やモグラの眼、クジラの後肢骨など。

系統派生において、退化し機能を失ったと考えられる。

外見的に非常に異なった生物間の類縁の近さを判定する証拠となることも多い。

実は盲腸は、消化管の微生物共同体の心臓部なのである。

盲腸から垂れ下がっている虫垂は、痛みや炎症（虫垂炎）を起こす器官として有名だ。

虫垂はミミズのような見た目をしている。

長さは2センチから25センチまで開きがある。

世間では、虫垂にさしたる機能はないから切除しても構わないという説が通っている。

この俗説を広めた一人に、チャールズ・ダーウィンがいる。

『種の起源』に続いて出版した『人間の由来』の補遺に、「痕跡器官」についての論考を載せた。

ヒトの虫垂は、ほかの動物の虫垂に比べてサイズが小さいことからヒトの食生活の変化にともなって退化した痕跡器官ではないかと述べている。

これに対する反論がほとんど出てこなかったこともあり、虫垂が痕跡器官だという説はそれから100年間、ほぼ疑われることなく存続した。

さらにときどきトラブルを起こすという事実が虫垂は役に立たない器官だという人々の思い込みをますます強めた。

医学界もそう誤解し、1950年代には先進国で虫垂切除術が外科手術の代表となった。

別の治療で開腹手術をするとき、ついでに虫垂をとってしまうことまであった。

生涯のどの時点かで虫垂を切除した男性は８人に１人、女性は4人に1人というほど増えた時代もある。

虫垂は御先祖の名残だというダーウィンの推察は、名残であるはずの器官がヒトを死に至らしめているという事実さえなければもう少し説得力があっただろう。

虫垂には虫垂炎のリスクを上回る健康上の利益があると考えれば、自然選択は虫垂を積極的に残していることになる。

問題は、健康上の利益が何であるかだ。

その答えは虫垂の中身にある。

平均すると長さ８センチ、直径１センチの管状のこの器官は、消化管を通過する食べ物の流れにじゃまをされない位置にある。

しなびた見た目とはうらはらに、内側には特殊化した免疫細胞と分子がぎっしり詰まっている。

虫垂は役に立たないどころか免疫系に必須の部位で、微生物共同体を守り、育て、情報を伝達し合っている。

虫垂の中で微生物はバイオフィルムを形成している。

バイオフィルムとは、互いに支え合い、有害な細菌を侵入させないように守る層のことである。

どうやら虫垂は、人体が微生物のために用意している隠れ家のようなのだ。

巣の中の卵が雨の日も守られるように、虫垂に隠れている微生物は消化管に危機が生じたときも守られる。

食中毒や感染症で荒らされた消化管はその後、虫垂に隠れていたいつもの微生物でふたたび満たされる。赤痢やコレラ、ジアルジア症のような消化管感染症が先進国でほぼ姿を消したのは、ここ数十年のことだ。

先進国では下水設備や水処理プラントなどの公衆衛生対策がこうした病気を防いできたが、地球全体で見れば、いまだに子どもの死因の５件に１件は感染性下痢症である。

虫垂に何の機能もないように見えるのは、こうした病気が身近なものでなくなったからだ。

虫垂を切除することの不利益は、現代の衛生水準のおかげで表面化せずにすんでいる。

ところで、虫垂炎は比較的新しい病気だということも判明した。

この病気はダーウィンの時代にはごく希少で、それが原因で死ぬ人はほとんどいなかった。

だからこそダーウィンも、ヒトの虫垂を害もなく益もない進化の名残と考えたのだろう。

虫垂炎は19世紀末から急増した。

その理由については様々な憶測がなされたが、食事で繊維質をあまりとらなくなったことが最大要因だということでなんとか意見の一致をみたものの、その後も多くの仮説が立てられている。

ともあれ第二次世界大戦のころには虫垂炎はだれにでも起こりうる日常生活につきものの災難の一つというくらいに常態化していた。

なお、現代の先進国でも、少なくとも成人になるまで虫垂は保有していたほうがいいことがわかっている。

再発性の消化管感染症や免疫機能障害、血液の癌、一部の自己免疫疾患、さらには心臓発作まで予防してくれるからだ。

虫垂が微生物の隠れ家であることが何らかの形で役に立っているのだろう。

虫垂は無駄な器官ではなかったという発見は、もっと重要なことを教えてくれる。

私たちの体にとって微生物はなくてはならない存在だという事実だ。

～『あなたの体は９割が細菌　微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン著～より

写真は昨日行った近くの植物園のものです。

さいごの葉っぱは「オガタマノキ」です。

（招霊―おきたま―の木、として古くから神社によく植えられています）

ミミズ研究の第一人者であるダーウィン。

ミミズのような人間の虫垂も気になっていたのですね。

ヒトの受精卵は生物の進化のプロセスをたどりながら成長していきますが、誕生したヒトの体の中にも微生物をはじめとする植物や動物の機能や、進化のプロセスが詰まっています。

地球に誕生した生命の歴史、悠久のおびただしい命の歴史、すべてが人体の中に込められていること。

ひとりの地上人生は何十年と短くても、実際は、地球誕生からのすべてが連なり蓄積されているのだから、40億年をプラスした途方もない時間を加えて生きているのだということに気付かされました。

微生物も、虫も、魚も、木々も動物も、人間とべつものとは思えません。

自然と共鳴する理由は、そこにあったのですね。

(*´ω｀*)