ここには何度も出戻りしてますが、しれっと挨拶してみます(⁠◔⁠‿⁠◔⁠)



はじめまして!

なないろシエスタと申します。


カトリック教会の洗礼を受けるため、春から勉強会に通う予定です。



(そうなのです、ブログの趣旨を変えました)



今まではお絵描きのことなど、趣味に関してダラダラと綴ってきましたが、


これからは日々の暮らしの中で気づいたことなどあったときのみ、


不定期で日記を綴ることにしようかなと。




よろしくお願いします(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠♡



***






さて、早速ですが最近の気付きをメモします。


最近、親友と電話で話す機会があり、その時にふと気がついたことがあるのです。


全然上手く言語化できないのですけど、まとめてみますね!




関東の親友と私が出会ったのは、私が18歳のとき。


そこから親友と過ごした時間は、だいたい2001~2006年のうちの正味3年間くらい。


(親友には彼氏ができたりして、ずっと一緒にいたわけではないので)




41年間生きてきた中で、親友と過ごせた時間はたったの3年間程度です。


つまり、私の生涯のうち、親友不在の時間のほうが、圧倒的に長いわけです。




でも、気付いたんです。


私は親友のことが大好きで、彼女も私を大好きだと言ってくれていて、


どれだけ時間が経っても、また連絡を取ったときにはまるで「昨日の続き」かのように


あの3年感が鮮やかに蘇る。




そして、どれだけ時間が経っても、二人の居場所に物理的な距離があろうとも、


二人で分かち合った日々が、私の中に生きているのです。





例えて言うなら、私の心の中に、親友のためだけの部屋があるのかもしれません。


そこでは、二人で過ごしたあの濃密な期間の思い出が、今も確かに生き続けていて。


だから私は時間と距離を超えて、いつでも親友に会える、そんな気がするんです。





そう思ったときに、約二千年前に生きたとされる「イエスの愛」が、


現代に生きる私達をも救ってくれるということの意味が、


実感としてわかったのでした。




多分、相手を大切に思う気持ち(愛)は、本当に時空を超えるんだなあって。


キリスト教の詳しい教義についてはここでは書きませんが、


本を読んでいても「わかったような、わからないような。。。」と思っていたことが、


「こういうことかも!?」と、唐突に理解できたような気がした瞬間でした。




もしかしたら、愛が超えられるのは時空だけではないのかも?


私達には考えもつかないようなすべてを超越できる、それが愛なのかなあって。


そんなふうに確信に近い気付きを得たのでした。



***



今日はこのへんで。

お読みいただきありがとうございました(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)