CART入院と母のこと | にの日記

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2002年2月30歳で乳がん発症。現在50歳。再発して9年、抗がん剤はやり尽くしました。現在、痛みのコントロール、腹水・胸水治療(CART)を受けています。
今までのほほんとしていたのですが、あまりのほほんとしていられなさそうなので、ブログタイトル変えました。

2022/08/17は札幌の病院にCART入院。


わたしはすっかり痩せこけてしまって、腹水は溜まっているだろうに体重39.3kg。

何を食べてもエグ味を強く感じ、お腹は空いているのに喉を通らない。

咳をしたり立ち上がろうとすると右下腹と背骨に激痛が走るから、怖くて立てない、動けない。

動けないから筋肉はどんどん落ちて、ほぼ寝たきり。

正に悪循環。


病院到着後、外来患者用車いすを借りて、入院受付へ。

全て夫に託して、わたしは入口付近で待つ。

なんにもできない。


夫は付き添い受付で熱を測って、入館証をもらう。

途中売店で、お茶や水を買う。

いつもはここでお菓子や梅干しをごっそり買うのだけど、食べられそうにないから飲み物だけ。

病棟に上がって、ナースステーションの事務方さんの入院許可が下りるまでの間、ラウンジへ食事メニュー表の写真を撮りに行く。

入院中、何が食べられるのか確認したい欲望は健在。

ナースステーションに戻ると、病室に案内できるというので、夫とはここでお別れ。

寂しいけど、わたしが家にいると夫が休まらないと思うので、今回は自分のことが出来るようになってから帰りたい。


主治医がすぐに診に来てくれて、わたしの現状と今後希望する治療のことを話す。

主治医は「ガマンしないで、まずは痛みを取りましょう。治療はそれから。」と提案。

痛みをガマンすることが、がん患者にとって一番良くないとのこと。

そうか、ガマンするのは良くないのか。


以前から夫に言われていたのだけど、わたしは何事もガマンしすぎる傾向にあるらしい。

そうかな?と半信半疑だったけど、お医者さんにも言われて、そんな気がしてきた。


若い頃、お金と保険証がなくて病院に行けず、毎月死にたいと思っていた生理痛。

いつ生理が来るかわからないから、やりたかった仕事にチャレンジできなかった。

それでも女性が多い職場に20歳で就職。

上司は男性だったけど生理痛に理解のある人で、毎月生理休暇をきちんと取らせてくれた。

健康保険証を手にした時、とにかくうれしかった。


わたしの母は生理痛を経験したことがなく、子宮内膜症の痛みを理解できない。

高校生のわたしに「早く子供を産んで、子宮取っちゃえばいいのよ。」と恐ろしいことを平気で言える人。

痛みや毎月の恐怖は、ひとりで耐えなければならなかった。

いまだに末期がんで苦しむわたしに「頑張って、応援してるから。」と言う。

ここ10年、余程の用事がなければわたしから電話することはなくなった。


連絡や帰省をしなくなって気持ちが軽くなったのか、実家以外の旅行をしたり、バイクに乗るようになって、自分の人生を楽しめるようになった。

距離的にも北海道と鹿児島というのが良かった。

飛行機の直行便がなく、簡単に行き来ができない。


「ガマン」という言葉から、一瞬にして、そんな過去がよみがえった。

そうか、母との日々はわたしにとってガマンだったんだ、つらかったんだと思ったら、泣けてきた。


なので今回はガマンせず、主治医の言う通り痛みを取るのを優先することに。

カロナール500から医療用麻薬のオキシコンチンへ。

最少量から始めて、足りなかったら頓服でオキノーム。

看護師さんからも「痛い時はガマンしないで、すぐにナースコールしてね」とクギを刺される。


看護師さんたちからわたしは、ナースコールしない患者として認定されてることはわかっていた。

点滴が終わりました~というナースコール以外したことがないから、「用事はなんでもいいから呼んで」「もっと甘えてね」とよく言われる。

ボタンひとつで人を呼び出すって自分何様?という思いと、頑張ればひとりで出来そうだからナースコールしなかったのだけど、そうか、ここもガマンしてたのかな。


CARTは18日のお腹の状態と血液検査の結果を診て、やるかやらないか決めることに。

さっきトイレに立ったけど、確かに痛みは減っていた。

とはいえ、今までの20%くらいの痛みがあるので、これをどう評価するか。

先生に委ねよう。