はぴば2
というわけで、12月14日に無事出産。
5日間の母子同室大部屋入院がはじまりました。
子宮の収縮は問題ないし、傷口も膿んでないし、順調だよーといわれつつ、ぷれっしゃーがかかっていたのは、早めの出産だったので、おっぱいの用意が整っていなかった事。
もちろん、通常のお産でもいきなりでるようになるもんではなくて、最初の二三日は赤ちゃんは「お弁当と水筒をもってでてくる」と言われるように、おっぱいはなかなかでないものらしいです。
それで、赤ちゃんの体重減らしてでも(調乳ミルクを飲ませたりしないで)赤ちゃんにしっかりおっぱいを吸ってもらってその刺激で母乳がでるようになるそうで、そこのがんばりが大事なんだそうで、、、わたしが入った病院はそこをしっかり指導するスパルタで有名なとこだったらしかったです。
最近は母乳育児のすばらしさが一般にも啓蒙されてるし、もちろんわたしもそう出来たらベストだなあ、と思いつつ、もしなかなか私の体がおっぱいがでるようにならなかったときに、わたしが母乳育児にこだわるあまり、赤ちゃんにベストな対応が出来ないのは本末転倒だと思っていたので、つまりノンポリ母乳育児w
それでもがんばりましたよー。
一日8回以上の授乳を目指して、と指導されるのですが、余裕で8回以上の授乳になっちゃいます。
赤ちゃんが泣いたら「おしめかえ」か「おっぱい」なわけで、うちのべべは小さいくせにものすごい元気で、しかも大部屋ってほかの赤ちゃんが泣くと影響されて泣く事もあり、さらに、お口のうごきや表情、手の動き、声の出方で泣くとこまでいく前に察知しておっぱいをあげましょう、みたいな指導もあったりして、おかーさんはてんてこまい。
あと、うちの赤ちゃんは小さいのでお口も小さくて、指導されるような「大きく口を開いてドナルドダックみたいな口になっておっぱいを吸わせましょー」なんてのも至難の業。
三日めくらいかなー、情緒不安定にもなってたんでしょーが、夜中に助産士さんと話している最中に急に涙が出てきて私が泣いてしまったり、、、おっぱいがでないことの罪悪感というか、、、(そのあとは、助産士さんの指導もすこし軟化した気がしますwそのまえは人によっては助産士さんの言葉がけっこう厳しかったww)
シャワーの許可がでたのも体が楽になったかもしれません。
おなかからベベがいなくなったから、仰向けに寝れるんだけど、傷口が痛くて足を伸ばせないので、結局横向きで寝てたりとか、あ、傷口けっこういたくて、とんぷくの痛み止めをやっぱり飲んでました。それもあって、よく眠れないんですよね。
四日め、だったかなー、お産を担当してくれた助産士さんが顔を出してくれて、「まだまだおっぱいでなくて普通なんだから、すごい頑張ってますよ、自信を持って!」とはげましてくれたり、母乳指導がしっかり入って、「大丈夫、ちょっとフォローの調乳ミルクを少し足しつつ、このぶんならちゃんとおっぱいでるようになるから、心配しないで!」と言われ、ようやく退院する勇気がわいてきました。
この日の朝、大部屋の大きな窓から富士山がキレーにみえて、ほっとしたのをおぼえてます。同室のママたちともいろいろ話したりして、、

心の支えだったのは、毎日病院に通ってくれた母、
毎日定時に一回あがって病院に顔を出し、その後仕事に戻っていったダンナ、
もともと定期健診で会おうねーと話していた職場の同僚で同じ病院で一年前に出産しているOさんがメールで出産を知らせたら病室に顔を出してくれたり、報告メールを限られた時間のなかですこしだけ出せたのですが、そのレスのお祝いメール、、
そしてなにより、ベベがカワイイ!
ダンナの家系の顔立ちで、去年の夏に亡くなった義父によく似ていて、みんな大喜びだったのもあり、表情がひょうきんで、「いったいどこでそんな顔すること覚えてきたの?」っていうような面白い顔をする!!そして、ずーっと顔を見てると眉のかたち、額、髪の生え際、手足の指、ちょっとずつ私に似ているところが見つかって、絶妙にわたしとダンナのDNAがまじってる!!
・・・昨年の夏に夫のお父様が長患いの心臓病でなくなって、夫はものすごくよく看ていたとおもうけど、本人はやっぱり納得できるものではなくて、一生おやじの事は後悔していくと思う、と悩んでいて、、、その夫が、ベベが産まれた翌日、お父様のお位牌に手を合わせたときに写真をみて、思わず笑ってしまったんですって。ベベに似てるから?その話を聞いて、ホントに良かったなーと思いました。
人に時あり、ですねえ。
いつか、癒されていくんだなあ、って。
宝物だなあ、って。
そんなこんなで、五日めの12月19日、退院。
世田谷の実家に帰宅しました。
以下次記事。
5日間の母子同室大部屋入院がはじまりました。
子宮の収縮は問題ないし、傷口も膿んでないし、順調だよーといわれつつ、ぷれっしゃーがかかっていたのは、早めの出産だったので、おっぱいの用意が整っていなかった事。
もちろん、通常のお産でもいきなりでるようになるもんではなくて、最初の二三日は赤ちゃんは「お弁当と水筒をもってでてくる」と言われるように、おっぱいはなかなかでないものらしいです。
それで、赤ちゃんの体重減らしてでも(調乳ミルクを飲ませたりしないで)赤ちゃんにしっかりおっぱいを吸ってもらってその刺激で母乳がでるようになるそうで、そこのがんばりが大事なんだそうで、、、わたしが入った病院はそこをしっかり指導するスパルタで有名なとこだったらしかったです。
最近は母乳育児のすばらしさが一般にも啓蒙されてるし、もちろんわたしもそう出来たらベストだなあ、と思いつつ、もしなかなか私の体がおっぱいがでるようにならなかったときに、わたしが母乳育児にこだわるあまり、赤ちゃんにベストな対応が出来ないのは本末転倒だと思っていたので、つまりノンポリ母乳育児w
それでもがんばりましたよー。
一日8回以上の授乳を目指して、と指導されるのですが、余裕で8回以上の授乳になっちゃいます。
赤ちゃんが泣いたら「おしめかえ」か「おっぱい」なわけで、うちのべべは小さいくせにものすごい元気で、しかも大部屋ってほかの赤ちゃんが泣くと影響されて泣く事もあり、さらに、お口のうごきや表情、手の動き、声の出方で泣くとこまでいく前に察知しておっぱいをあげましょう、みたいな指導もあったりして、おかーさんはてんてこまい。
あと、うちの赤ちゃんは小さいのでお口も小さくて、指導されるような「大きく口を開いてドナルドダックみたいな口になっておっぱいを吸わせましょー」なんてのも至難の業。
三日めくらいかなー、情緒不安定にもなってたんでしょーが、夜中に助産士さんと話している最中に急に涙が出てきて私が泣いてしまったり、、、おっぱいがでないことの罪悪感というか、、、(そのあとは、助産士さんの指導もすこし軟化した気がしますwそのまえは人によっては助産士さんの言葉がけっこう厳しかったww)
シャワーの許可がでたのも体が楽になったかもしれません。
おなかからベベがいなくなったから、仰向けに寝れるんだけど、傷口が痛くて足を伸ばせないので、結局横向きで寝てたりとか、あ、傷口けっこういたくて、とんぷくの痛み止めをやっぱり飲んでました。それもあって、よく眠れないんですよね。
四日め、だったかなー、お産を担当してくれた助産士さんが顔を出してくれて、「まだまだおっぱいでなくて普通なんだから、すごい頑張ってますよ、自信を持って!」とはげましてくれたり、母乳指導がしっかり入って、「大丈夫、ちょっとフォローの調乳ミルクを少し足しつつ、このぶんならちゃんとおっぱいでるようになるから、心配しないで!」と言われ、ようやく退院する勇気がわいてきました。
この日の朝、大部屋の大きな窓から富士山がキレーにみえて、ほっとしたのをおぼえてます。同室のママたちともいろいろ話したりして、、

心の支えだったのは、毎日病院に通ってくれた母、
毎日定時に一回あがって病院に顔を出し、その後仕事に戻っていったダンナ、
もともと定期健診で会おうねーと話していた職場の同僚で同じ病院で一年前に出産しているOさんがメールで出産を知らせたら病室に顔を出してくれたり、報告メールを限られた時間のなかですこしだけ出せたのですが、そのレスのお祝いメール、、
そしてなにより、ベベがカワイイ!
ダンナの家系の顔立ちで、去年の夏に亡くなった義父によく似ていて、みんな大喜びだったのもあり、表情がひょうきんで、「いったいどこでそんな顔すること覚えてきたの?」っていうような面白い顔をする!!そして、ずーっと顔を見てると眉のかたち、額、髪の生え際、手足の指、ちょっとずつ私に似ているところが見つかって、絶妙にわたしとダンナのDNAがまじってる!!
・・・昨年の夏に夫のお父様が長患いの心臓病でなくなって、夫はものすごくよく看ていたとおもうけど、本人はやっぱり納得できるものではなくて、一生おやじの事は後悔していくと思う、と悩んでいて、、、その夫が、ベベが産まれた翌日、お父様のお位牌に手を合わせたときに写真をみて、思わず笑ってしまったんですって。ベベに似てるから?その話を聞いて、ホントに良かったなーと思いました。
人に時あり、ですねえ。
いつか、癒されていくんだなあ、って。
宝物だなあ、って。
そんなこんなで、五日めの12月19日、退院。
世田谷の実家に帰宅しました。
以下次記事。
はぴば1
今日はもう30日、年末、ですねえ。はやいなあ。
部屋のなかは暖房と、貰い物の加湿器(Yちゃん、Mちゃんありがとです)ガンガンかけてて、ああ来月の光熱費の請求が恐い。世田谷の実家は古いマンションなので、暖房効率とか悪いんですよ、とほほ。
記事アップが間隔あいてしまってすみません。
各所にご心配をおかけしております。
母乳頑張ってるのでなかなかパソコンの前に座る時間がない、という理由につきまして、母子ともに元気です。今日はひさびさにパソコンを立ち上げました。
さて。いろいろすっとばして、今の話から記事に、ていうのもありだとは思うのですが、せっかくブログ記録はじめたことですし、後から読み返しておもしろいかも、とも思うので、お産の話から書いていこうかと思います。
確か前駆陣痛辛い、というとこまでは書いてましたよね(12/11)。
結局それが3日続いて、自宅でウンウン言ってたのですが、いよいよ13日の朝、破水しました。
寝てたら、ホントにぱん、てかんじ。
親戚のおねーさん(前出、お医者さんで、お医者さんの奥さん、美女)が破水はぱんって、かんじだから、とアドバイスしてくださってたのですが、まさに!)
で、どばあ、て羊水が出ていく感じがして、うわあ。
着てるものとか替えようとしたけど、どんどんしたたるので諦め、腰にタオルを巻いて、タクシーに飛び乗り病院へ(廊下やら、寝室やらは羊水びたしですよ)。
20分で病院に着いて、LDR室へ。
ちなみにLDR室とは、陣痛(Labor)、分娩(Delivery)、回復(Recovery)までを一つの部屋で行える部屋ということらしいです。
そっからが長かった。
赤ちゃんは下まで下がってきていて子宮口も開いているのに、決定的な陣痛にたっしていないこと、逆子ではないけど体が背中側を向いていたこと、実はへその緒が赤ちゃんの首にまわっていたこと、そして破水していることなどがあって、けっこう緊迫していたみたいです。
とはいえ、助産師さんが完璧ケアしてくださっていたこともあり、私自身は陣痛に集中。
思いだしてもこのときのハリの苦しさって、経験のない苦しさで体から力がこそげ落ちるようなと言いましょうか、いわゆるお産が痛い、ってこのことをいうんですかね?
なんか、、ちょっと違った気もする。
時間が長くかかるにつれて、痛みで意識が朦朧となって、自然に任せるわけにもいかなくなり、明け方陣痛促進剤の導入など決定、吸引分娩で出産と相成りました。。
あのときは怖いやら、痛いやらで、
でもとにかく先生たちが「がんばって、いきんで、いきんで!」と叫んでいたこと、だんなと母が側にいたこと(ダンナは最初立ち会わないかも、と言っていたのに、結局全部一緒にいてくれたですよ)、人生のなかでもうないってくらい歯を食いしばって、某所が裂けてもいいくらい気張ったことだけ覚えてます。三回くらいに分けて、センセーがすごく上手にひっぱりだしてくれたらしいです(母談)。
会陰切開はもちろんしました。。。
で、ずるっと赤ちゃんがでて、私はふわーっと放心状態。
先生たちが「お母さんよく頑張った、よく下から出した、大変だった」と何度も声をかけてくださって、カンガルーケアで赤ちゃんが胸の上に置かれて、すぐぎゃーぎゃー泣いてるのきいてほっとして、だんなが横で「ありがとう、ありがとう」って何度も言ってたです。
感動して絶対泣くと思ったけど、某所の縫合手術がすぐはじまって、痛くてそれどころじゃなかったw
麻酔が効きづらい場所なんだ、と言われたけど、それでも痛くて麻酔足してもらって、
その間もセンセーがずっと「よく頑張った、よく下から出した、おかあさんがんばった」って言ってくださってました。わたしは「いえ、先生たちのおかげです、おかげです」とうわごとのようにお礼を繰り返してました。まじで、先生たちが技術高いかたがただったから事なきを得たんだと思うし、感謝以外の何ものでもないですね。
その後の入院生活でも担当の助産師さんや先生が何度も顔を見にきてくれて、なんども大変なお産だったねーと言われたので、大変だったらしいですww
まあでも、赤ちゃんが無事だったから、大成功、私的には無問題!
よかったーよかったー。
赤ちゃんはすぐおっぱいを探し始めて動いて、さっそく乳首をぱくっとくわえて、そのくわえ方がガッツがあるよ、ああ元気だ元気だとみんなで笑って、一段落。
だんなは会社にこれから行くっていって、義母さんもじゃあまたくるね、と徹夜あけぼろぼろになりながら出て行って、母は残って入院まで見届けて帰宅。
わたしは大部屋に入って、えーっと、ちょっと寝たんだったかな?記憶が飛んでます。
そして、5日間の怒濤の母乳育児の戦いがはじまるわけで、、(北の国から風)
以下次の記事。
部屋のなかは暖房と、貰い物の加湿器(Yちゃん、Mちゃんありがとです)ガンガンかけてて、ああ来月の光熱費の請求が恐い。世田谷の実家は古いマンションなので、暖房効率とか悪いんですよ、とほほ。
記事アップが間隔あいてしまってすみません。
各所にご心配をおかけしております。
母乳頑張ってるのでなかなかパソコンの前に座る時間がない、という理由につきまして、母子ともに元気です。今日はひさびさにパソコンを立ち上げました。
さて。いろいろすっとばして、今の話から記事に、ていうのもありだとは思うのですが、せっかくブログ記録はじめたことですし、後から読み返しておもしろいかも、とも思うので、お産の話から書いていこうかと思います。
確か前駆陣痛辛い、というとこまでは書いてましたよね(12/11)。
結局それが3日続いて、自宅でウンウン言ってたのですが、いよいよ13日の朝、破水しました。
寝てたら、ホントにぱん、てかんじ。
親戚のおねーさん(前出、お医者さんで、お医者さんの奥さん、美女)が破水はぱんって、かんじだから、とアドバイスしてくださってたのですが、まさに!)
で、どばあ、て羊水が出ていく感じがして、うわあ。
着てるものとか替えようとしたけど、どんどんしたたるので諦め、腰にタオルを巻いて、タクシーに飛び乗り病院へ(廊下やら、寝室やらは羊水びたしですよ)。
20分で病院に着いて、LDR室へ。
ちなみにLDR室とは、陣痛(Labor)、分娩(Delivery)、回復(Recovery)までを一つの部屋で行える部屋ということらしいです。
そっからが長かった。
赤ちゃんは下まで下がってきていて子宮口も開いているのに、決定的な陣痛にたっしていないこと、逆子ではないけど体が背中側を向いていたこと、実はへその緒が赤ちゃんの首にまわっていたこと、そして破水していることなどがあって、けっこう緊迫していたみたいです。
とはいえ、助産師さんが完璧ケアしてくださっていたこともあり、私自身は陣痛に集中。
思いだしてもこのときのハリの苦しさって、経験のない苦しさで体から力がこそげ落ちるようなと言いましょうか、いわゆるお産が痛い、ってこのことをいうんですかね?
なんか、、ちょっと違った気もする。
時間が長くかかるにつれて、痛みで意識が朦朧となって、自然に任せるわけにもいかなくなり、明け方陣痛促進剤の導入など決定、吸引分娩で出産と相成りました。。
あのときは怖いやら、痛いやらで、
でもとにかく先生たちが「がんばって、いきんで、いきんで!」と叫んでいたこと、だんなと母が側にいたこと(ダンナは最初立ち会わないかも、と言っていたのに、結局全部一緒にいてくれたですよ)、人生のなかでもうないってくらい歯を食いしばって、某所が裂けてもいいくらい気張ったことだけ覚えてます。三回くらいに分けて、センセーがすごく上手にひっぱりだしてくれたらしいです(母談)。
会陰切開はもちろんしました。。。
で、ずるっと赤ちゃんがでて、私はふわーっと放心状態。
先生たちが「お母さんよく頑張った、よく下から出した、大変だった」と何度も声をかけてくださって、カンガルーケアで赤ちゃんが胸の上に置かれて、すぐぎゃーぎゃー泣いてるのきいてほっとして、だんなが横で「ありがとう、ありがとう」って何度も言ってたです。
感動して絶対泣くと思ったけど、某所の縫合手術がすぐはじまって、痛くてそれどころじゃなかったw
麻酔が効きづらい場所なんだ、と言われたけど、それでも痛くて麻酔足してもらって、
その間もセンセーがずっと「よく頑張った、よく下から出した、おかあさんがんばった」って言ってくださってました。わたしは「いえ、先生たちのおかげです、おかげです」とうわごとのようにお礼を繰り返してました。まじで、先生たちが技術高いかたがただったから事なきを得たんだと思うし、感謝以外の何ものでもないですね。
その後の入院生活でも担当の助産師さんや先生が何度も顔を見にきてくれて、なんども大変なお産だったねーと言われたので、大変だったらしいですww
まあでも、赤ちゃんが無事だったから、大成功、私的には無問題!
よかったーよかったー。
赤ちゃんはすぐおっぱいを探し始めて動いて、さっそく乳首をぱくっとくわえて、そのくわえ方がガッツがあるよ、ああ元気だ元気だとみんなで笑って、一段落。
だんなは会社にこれから行くっていって、義母さんもじゃあまたくるね、と徹夜あけぼろぼろになりながら出て行って、母は残って入院まで見届けて帰宅。
わたしは大部屋に入って、えーっと、ちょっと寝たんだったかな?記憶が飛んでます。
そして、5日間の怒濤の母乳育児の戦いがはじまるわけで、、(北の国から風)
以下次の記事。
産まれました!
いきなりですが、産まれました!!
詳しい話はまた次の記事でさせてもらうとして、12月14日朝7時20分、2600gの女の子を無事出産しました。で、5日間入院して、12月19日退院、今日やっと、パソコンを立ち上げられた次第です。
予定日よりかなり早かったけど、ぎりぎり生産期(37週)に入ってまして、未熟児でもなく、健康に産まれてほっとしてます。
そして、今は24時間母乳育児に突入中。いや、ちょっと早く産まれたのでわたしの母乳状況が追いついてなくて、調乳ミルクのヘルプは入れてるんですが、基本、欲しがったらおっぱい飲ます、夜中も対応!がんばりますぜ。
あー、いろいろ書きたいことはあるんですが、そろそろベベ、泣き出しそう。近日記事アップしますので少々お待ちあれ。なんちて。
詳しい話はまた次の記事でさせてもらうとして、12月14日朝7時20分、2600gの女の子を無事出産しました。で、5日間入院して、12月19日退院、今日やっと、パソコンを立ち上げられた次第です。
予定日よりかなり早かったけど、ぎりぎり生産期(37週)に入ってまして、未熟児でもなく、健康に産まれてほっとしてます。
そして、今は24時間母乳育児に突入中。いや、ちょっと早く産まれたのでわたしの母乳状況が追いついてなくて、調乳ミルクのヘルプは入れてるんですが、基本、欲しがったらおっぱい飲ます、夜中も対応!がんばりますぜ。
あー、いろいろ書きたいことはあるんですが、そろそろベベ、泣き出しそう。近日記事アップしますので少々お待ちあれ。なんちて。