moemiのブログ

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音楽の事にシェアをおいてかいていきたいとおもいます☆彡☆彡

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 世界のSAKAMOTO様のコンサートにいってきました。1曲の時に限り携帯のシャメで撮影がOKだったので、撮影できた写真。
 たぶんステレオが壊れて、新しいステレオ買うのに、音質とか、こだわることがなかったら、このまま通り過ぎていっていっていたと思う。

 これは壊れたコンポに感謝というべきなのか。何の攻撃なのか、最近は頻繁にものが壊れるとかいう被害にあっているけど、壊れてしか見えなかった音質とか、どうなっていて、この製品ができているかとかわかる部分もある。そういうものを感じ取れる自分の感受性があることが、神様からの贈り物なのだろうか?

 今は何も隠す意味もないからいうけど、夫が離婚を認められるまで、実家で、一人の時間をすごしているが、別れてから手に入れられる幸せの方が、夫と一緒にすごしていたときより、数倍の確立と、速さで、この巡りあいたい人や、場所にいける奇跡の確立が自分の中で、相当な確立で、加速度をましている。

 離婚を経験して、別れてよかったとか、一人でいるほうが幸せと感じる人は、たぶん私と同じように、別れてから手に入る幸せの方が、自分にとっても、自分の周りの人にとっても、価値が高いのだろうと思う。

 今日の夕飯は何しようか?とか、明日の朝ごはんは何しようかとか、掃除、洗濯、買出しにいく時間に追われているうちに、人はこの限りない一生のうちに、逢いたい人、とか、巡りあう人や時間をほとんど、日常という犠牲に支払い、安全な平凡と引き換えに、奇跡に巡り合う確立も、逃していってしまう。

 人間は脳細胞の数パーセントという細胞しか使っていなく、ベートーベンや、歴史上に残る数多くの発明や作品が、一人という孤独、一人でいれば邪魔されることがない、自分の感受性なりを研ぎ澄ませ、作品を創ることや、発明に貢献できたなら、と考えるとこの孤独とか、一人という時間は消して今の自分には手放せないもの、時間である。 あとほんの少しのひらめきと時間、芸術家というのは、常にその奇跡と、隣り合わせのぎりぎりの境目で生きているのだろうと思う。

 高校生の頃、音楽の先生が語っていた「音楽家は幸せになる人は、少ない。だいたい不幸になる。」ということが最近自分の身にも起こっている事にきづく。しかしそれは世間一般でいう不幸であって、安全が保障されている平凡ではないということであって、自分的にも、芸術家のほとんどは、そのときにも、自分が不幸とはかんじていないのではないだろうか? そういうことについて語りだすと、再び誰かの書物「幸福論」なるものが必要になりそうだけど。

 自分が安全が保障されている日常を選ばないこと、や孤独を選んでしまう癖はたぶん自分の中に眠っている偶然とか必然とか呼ばれる自分の感性に従った方が、この偶然とか あと少しのひらめきとかで、よりレバレッジの聞く方向で、自分を人を幸せにできる可能性や才能に少なからず気づいているし、自分とそういう意味で同期のひとは、目覚めているのだろうと思う。


 たぶんそういうものを世間のおばさんやそういう類の人から、子供扱いされて、茶化されて変なふうに言われなくなるには、ニューヨークにでもいって、そういうものと無縁の生活を送るか、企業や何かから、烙印を押されて守られるとか、私という死があってか、死後いくばくかとか、わからないが、そういうものがなければ、そういう世間の笑いもの的なものから、邪魔され続けるとしたら、芸術家は不幸になるというか、世間というものが芸術家の感性に対して非情というべきだと私は感じる。ここら辺については、後々自分の自叙伝にでも書いておく為に、あえて言及するのが惜しいほど、そういうものがある人にしかわからない何か、分かり合える人がいる、ひそかな喜びというのか、今たまたまラジオで流れてきた、おばさんみたいな人の嘲笑にまかせたくないので、書きたくないが。

 人は少なからず自分というものの存在なり、作品を後世に残したいという気持ちを抱いて生きているのだけど、結婚という儀式は、それが、数百万とか、いくらかわからないが、結婚指輪というダイヤとか、と引き換えに女性は家を守り平凡と、食事と生への保障、男性は命の犠牲を犯して、狩りにいくという役割をになってきたけど、男女平等をうたうつもりはないが、男性だからとか、女性だから、とか、そういう差別はやめて欲しいとおもう。 働きたい人、才能のある人に、教育と、場所が与えられて、平凡とダイヤでいいから、家を守る方がいいとか立場というか、結婚とか、制度とか、そういうものにたいして、もっと日本は自由でなければ、昔芸術家には、パトロンとか、愛人とか、があってこそ、の芸術や発明がただ単に廃れていく、世間の笑いものか、馬鹿か、基地外か、であえなく、平凡という生活に収まる人がおおいのかと思うと、それは才能というものに対して、世間の失礼とかよりも、あまりに失礼であり、また、もしあと少しのひらめきで、人類の寿命が延びる特効薬とか、そういうものができる才能を、精神病院送りにしてしまうとしたら、あまりにも、歴史的にも、時間がかかる作業であり、なんとも無駄な嫉妬とか、そんな類のもので、いつまで私も含めて、おばさんや、一般世間なるものに、にらまれ続けられなければならないのかと思うと、残念な限りである。

 しかしながら、この芸術家のいう「うるさいから邪魔しないでくれ」というものと、ただ単にぐうたら、怠け者だから「うるさい!」という人とについて、世間のおばさんとか、そういう類の人はもっと使い分けて、芸術家や発明家にたいして、もっと非情性を使い分けてくれたらと・・・神社にでも行って、祈ってくるしかないか。

moemiのブログ-坂本龍一様