学校終わってカフェに来てる。
最近ずっと本を読めてない。
ていうか最近集中力が無いし、色んな事に対して興味が無くなってきてる。
今までの自分のことをただの自己満足で書くことにする。かなり昔のことから。
私は父親の顔も知らず、今も母子家庭でずっと育ってきた。
小学1年生、入学して早々イジメを受けていた。物心ついたときから私は気が弱くてある1人の男子から執拗に毎日イジメを受けていた。物でぶたれて怪我させられたり、気弱だから何も反抗しないだろうと思ったのかクラスで劇をやるってなった時嫌な役を押し付けられてやらされたり、物を壊されたり無くされたりで毎日泣かされていた。その後私は母にチクって学校に乗り込みその子を叱ってもらった。その後その子からのイジメは無くなったけど、その子が書いたと思われる校舎の落書きに油性ペンで〇〇の母親死ねって書いてあった。不登校気味になっててズル休みばっかりするから毎日小学3年生あたりまで2年間、母や祖母に送り迎えしてもらってた。もちろん同級生からその事をからかわれてた。
小学4年生あたりから私が幼い時から付き合っていた母の当時の彼氏が私達の家に入り浸る生活が続いてた。私は幼い頃からその男を知ってたからその人がお父さんなんだとずっと思ってた。俺はパパだよって言い聞かされてたから。大工みたいな仕事をしてて学校から帰るとその男と二人っきりってことも多かった。お父さんなんだと思ってたけどすごく嫌だった。よく私に暴力するし私が物事を主張する権利がないからだ。何よりも嫌だったのがまだ4年生の私に、母がいない時「我慢大会」と言って身体の色んなところを触られたり触らせたりしたこと。まだ4年生の私はただ気持ち悪い、って気持ちだけでその行為自体がなんなのか分からなかった。そのくせその人はよく手を上げたりしてた。怖かったから何も逆らえなかったけど。もし逆らったら鼻血や唇が切れるほど暴力された。顔面をテーブルに叩きつけられた時は鼻が折れるかと思った。本当に怖かった。私はずっと母に依存していてその男に母が取られる事がめちゃくちゃ嫌だった。朝起きても母がいない時は、母は朝からその男の家に行ってた。怖くて心配で電話しても全く出ないし本当にひとりぼっちの時間が多かった。それが週3くらい。
小学生5年生くらいになってからは友達が居なくて孤立はしてたけどイジメは無くなって割と平和に過ごしてた。けどその反動か、反抗期だったのか、学校では一日一言も発しない日もあるくらい大人しいのに家庭では私は母と母の実家の祖母に暴言と暴力ばかりしていた。背の順で後ろから2番目くらいだったし体重は人生で一番重かったから体がだいぶ大きかった。そんな私が毎日暴力していたのだから相当家族も疲れきっていたと思う。それが中学2年生くらいまでかな?続いてた。
中学1年生になってすぐに友達ができた。だけどそれも束の間だった。グループに所属してた私はいつの間にかハブられてた。テニス部に入っていたけどみんな私のこと避けてたみたいで居心地が悪くなり耐えられなくなって一年半くらいで退部した。
中学2年生では相変わらず友達はできずに、好きな人はできた。だけどその好きな人からまたしてもイジメを受けた。私の容姿が醜いからかブスとかデブとか言われるのは当たり前で、筆箱をベランダから投げられたり上履き隠されたり上履きに画鋲刺されてたり。授業中クラスで手紙が回されてたこともあった。好きな人からそんなことをされるのは本当に屈辱的だったなぁ。
その習慣は3年生になるまで、卒業するまでずっと続いてた。この頃あたりから親に新しい彼氏ができ、私に対して素っ気なくなっていた。金土日は毎週泊りがけで出かけていった。すごく寂しかったけど私がそのことに関して口出しすると母は物凄く怒ったから我慢するしかなかった。私は初めてリストカットをした。最初は浅く何本か、だったけど深くなり回数も増えていった。切ってるときだけは時間を忘れられてにどこにもぶつけられないストレスを自分の腕を醜いうざい死ねばいい相手に見立てて切って発散してた。よくリストカットする人は生きてる実感がほしいからするとか言うけど私はただ、自分を罰したくて許されたくてしてた気がする。学校帰って1人の時はほぼ毎日してた。早く死にたいって思ってた。
中学3年生、初めて彼氏といえる彼氏ができた。同じクラスだったから私がいじめられてる事も知ってたはず。しばらくして卒業間際、その彼氏も肉体的暴力を受けた。うずくまってる彼氏に複数で蹴り飛ばしたり頬殴ったりしてるのもずっと目の当たりにしてた。だけど私はなんにもできなかった。一緒に帰るときもお互いイジメに関しては何にも触れられなかった。その彼氏とは高校に入るくらいに別れた。
高校1年生、私は必死でダイエットした。15キロほど体重が落ちた。すると周りの反応は小学生の時や中学生の時とはまるで違った。みんなが優しくしてくれた。すごく嬉しかった。友達とも上手くやっていけた。1年生の後半、彼氏ができた。だけど半年くらい経ってから喧嘩が多くなって更に情緒不安定になっていった。
高校2年生、彼氏にとても依存してしまい彼氏ばかりを優先にしてて友人関係を疎かにしてしまっていた為、そこまで深い友達はできなかった。友達は私のこと友達と思ってくれてたと思うけど、私は前みたいに裏切られるのが怖くて踏み込めなかった。
2年生になって彼氏との喧嘩はエスカレートして昔母や祖母にしていた暴言暴力を彼氏に向けるようになってしまった。当然彼氏は別れたがっていた。だけど捨てられるのが何より怖かったから必死にもうしないからって必死に謝った。だけどそれが治ることはなかった。些細な揉め事でもすぐにヒステリーを起こしてた。この頃が一番リストカットが酷かったかも。いつの間にかリストカットが二の腕の方までビッシリ埋まってた。親のタバコも吸い始めて、腕に何十個も根性焼きをしていた。親に連れられ初めて精神科に通った。
更に、病院勤務の母からデパス(精神安定剤)とマイスリー(睡眠導入剤)を頻繁にもらっていてオーバードーズばかりしていた。ひどい時はデパスとマイスリーと、病院で処方してもらった薬を貯めて40錠くらいごちゃまぜで一気に飲んだりしてた。そんな現実逃避する日ばっかりだった。
高校3年生では↑に書いたことがほぼ毎日。3年生あたりから自暴自棄になって援交とかしてた。誰とでもすぐ関係持つようになった。だけど彼氏のことはすごく好きだった。その事をわざと彼氏に話して何度も何度も別れる別れないの繰り返しで毎日病んでた気がする。ただ、タバコの頻度もオーバードーズの頻度もリストカットの頻度も増えてった。精神科に通ってももう何も変わらないと思い、自分の判断で通うのをやめた。
大学1年生、4月に3年続いた彼氏と別れた。その後すぐに他の人と色々付き合ったり、付き合わなくてもすぐ関係持ったりしてた。援交も止められなかった。3年続いた彼氏とはまた、8月くらいに復縁して12月頃まで続いた。1月に私に好きな人ができてその人と付き合うから復縁した彼氏とは別れた。だけど新しい彼氏が出来てもなかなか未練を断ち切れず頻繁に会ったり泊まったり何度も体の関係を持っていた。
大学2年生になり、そんな私が元彼との関係を断絶できたのは4月、新しい彼氏との半同棲がきっかけ。すっかり依存心も新しい彼氏にシフトしていった。半同棲生活は翌年の3月、つまり今年の3月まで続いた。半同棲中、母や祖母、元彼のように振るっていた暴力も暴言もまた止められなかった。すぐ自分の思い通りにならなかったり勝手に疑ったりするとヒステリー起こしてひどい暴力をしてしまう。悪い癖だと思う。新しい彼氏は嘘をつくことが多くて私は勘が鋭いのかしつこく問いただすことが多いからか嘘を見破ることができた。その度に泣いて目の前でリストカットしたりオーバードーズしたりしてた。きっと彼氏の嘘つきもこれが原因なのかな。3月に半同棲が解消されることになって私はますます病んだ。ひたすら死ぬ手段を考え、調べ、七輪と練炭をAmazonで購入した。母と叔母に勧められまた精神科に通うことになった。睡眠薬が手に入りますます死ぬ計画が具体的になった。
そして今、3ヶ月くらい経ったわけだけど特に4月は3年生に上がるプレッシャーや彼氏への依存心が断ち切れないこと、虚無感、無気力、ひたすら死にたくって一番辛かった。いきなりきっかけもなしに10日間固形物が食べられなくなってついに倒れて病院に運ばれて点滴を打ったほどだった。3月に病院に通い始め投薬治療が始まっていて今もジェイゾロフト、マイスリー、ロゼレム、レキソタン、ラミクタール、ジプレキサを貰って飲み続けてる。効果あってかしばらくは安定してた。けど免疫ができたのか段々効かない気がしてまたすぐ不安定な気持ちに戻った。今は薬のミリを増やしてる。これも時間の問題かな…。
そういえば私のこの情緒不安定な気持ちは双極性障害と境界線パーソナル障害の合併だそう。調べてみたら確かにその通りでびっくりした。何もかもあってたんだもん。ていうか自分がこんな病気だったってことに絶望というか情けなさを感じる。
何でこんなこと書いたかと言うと、また死にたい衝動に駆られてしまったから。何でなのかは分からない。ただ漠然と消えたいって気持ち。正直毎日学校も辛い。行っても授業が頭に入ってこない。だけどこれから就活もあるからきちんと勉強しないといけない。将来のこともとても不安。本当は何もかも捨てて楽さを取って死んでしまいたい。
暗いこと書いてしまいました。私の気持ち。