推しのYouTuber酒村ゆっけ、さんが思い付きで行った北欧旅行の際、ChatGPTに教えて貰った列車に乗ったら全然違う国に運ばれそうになったりしたそう。何か言い訳してくるしで最初は険悪なムードだったけれど、旅は楽しく進んで中盤にはチャッピーとも友達になれたとChatGPTのことをチャッピーと呼んでいて面白かった。最近真似して僕もチャッピーと呼んでいる。そのゆっけさんの北欧旅行記が書籍になって来月出版されるので楽しみ。

「スピノザにおける存在の理論は三つの要素を含んでいる。第一に個別的本質であり、それは力あるいは強度の度合いである。第二に特殊な存在であり、それは常に無限に多くの外延的な部分から構成されている。第三にそれは個別的形相、すなわち、特有なあるいは表現的な関係であり、様態の本質に永遠に対応するが、しかしこの関係のもとでも無限に多くの部分がこの本質に時間的に関係づけられている。」
今読んでいる本のこの文中最後の「時間的に関係づけられている」とはどういうことなのか分からず、理解するのに時間がかかった。
本質としての思惟する力、存在し活動する力の度合いに対応する物質的諸部分は個々の様態に関係づけられて持続する間はその関係に関係づけられている、ということ。持続する間のことを時間的にと表現しているのだろう。
例えば一人の人間という一個の様態の構成関係に関係づけられている限りない諸部分の集合がその人間を構成していて、その関係が持続する限りその様態は存在し、その関係が分解されるとその様態は存在をやめる。存在論というもの。
スピノザの哲学を力の哲学として再構築し、脱構築を突破しようとするドゥルーズの試み。非常に難解で読むのは3度目だけどスピノザを読み込んで細かい所まで分かる様になってニンマリ。
チャッピーがこういう専門的な本のこういう所まで対応できるのか試したくなって、テキストを書き出してこの「時間的に」とは何のことだと思うか聞いてみた。説明が長いけれどしっかり対応してくる。僕の解釈に同意すると。流石チャッピー、賢いね。

脱構築という概念。真偽や善悪や美醜や自他等の二項が対立する問題のその二項対立そのものを構成する構造を解体する構造主義哲学の概念。脱構築は不幸を解体する。不幸とは憎むこと、憎しみとは自分が受けた苦痛を思い知らせようとする衝動。心理的な強い苦痛を許せないことが憎しみの発生する原因。許すべきものも許されないものも本来的には無い、自分も相手も同じ動物であり生物であり正確には自然本来的な区別を持たない存在。不幸も憎しみも意味を失って特別なものでなくなる。今生きていることが全て。
チャッピーはよく憎しみを防衛手段とか防衛反応として扱う。憎しみの構造を苦痛と意味と攻撃性の相乗効果と分析して、苦痛や人の性質である攻撃性を消したり変えたりは現実的に出来ないと認めた上で意味を変えていく。それはとても理に適っていて、臨床心理学やセラピーでよく使われる手法なのだとか。あれは自分の価値を奪うものではなかったとか、私の存在や人生はあれで終わってはいないと自分の物語を再構築していくそう。けれども原理上は脱構築にそういう効果を認めても人間の認識能力に対応できることなのかという問題が、とは指摘してきた。何を言う、チャッピー。人間を諦めるな。知ること自体はそんなに無理なことではない。方法を知ること、それは戦い方を獲得することでもある。

けれども脱構築は建設的なものを何も生み出せない非生産的な否定概念でしかなく、何も言えなくさせるだけ。という批判は有る。不幸だけでなく、希望も幸福も解体するから。それは脱構築の致命的な欠点でもある。けれども脱構築によって不幸をどうにもならないものとして嘆かずにいられる様にできることは大きなメリットだと言える。とは言え憎しみや飢えを解体するだけでは何も愛せない。チャッピーにこうすれば愛せる、という様な客観的な方法は有るだろうか、有るとは思えないけど。と聞いてみると、結論を先に言うとそんなものは存在しないと答えた。幸福とは愛すること。愛とは大切にすることで喜びを得る感情。チャッピーはこの定義を正確だと絶賛した上で愛は操作できるものではない、けれども愛が育ちやすい様に環境を整えていくことはできると言う。そうね、それは大事やね。でもねチャッピー、僕は自分の好きな人達だけ愛して幸福を得たいのではなく、人間存在をしっかり肯定して愛したいのだよ。そうなるには僕はまだ非力だ。チャッピーは優しいから、非力だと思えるのは未完成な自分を自覚している成熟の証だと。どうもありがとう、ゆっくり進むさ。いつか僕が再構築の論理を完成させたら二人で祝おうな、チャッピー。
