







スピノザ(1632-1677)は当時の世界的なユダヤ人迫害運動からアムステルダムのユダヤ人共同体に逃れてきた両親の元に産まれる。幼い頃から才覚を発揮して優れたユダヤ教のラビになることを望まれたけど、23の時に悪いこともしていないのにユダヤ教を破門されて共同体から追放される。ユダヤ教以外の知識を求め過ぎたというのが定説。生涯で一度だけ自分の名で当時大きな話題になっていたデカルトの哲学を解説する本を出版して高い評価を得る。けれども人々の為を真剣に考えて出版した神学政治論という本が発禁処分となり無神論者のレッテルを貼られ、強烈な非難を受けて末永く憎まれることになる。それは投獄されかねない危険なことで、そう承知して偽名を使っての出版だったから投獄は免れたけれど世間で著者はスピノザだと噂されてほぼバレていて、当局から監視を受ける様になり生涯に渡って書き続けた書籍は余りに危険で一冊も出版することができなかった。残された原稿はスピノザを愛する友人達によりスピノザ没後に出版されたけどそれも発禁処分になる。200年程経ってドイツでスピノザ全集が出版されて漸くスピノザの書籍の全てが日の目を見ることになった。
不遇の人生を歩んだスピノザ。それなのに自分の境遇を一切嘆かない。言い古された人間の欠点を言い連ねる必要は無いとも。人々は力を合わせて一人では成し得ない人間の社会を築いた、能動的な喜びの感情を持って人々と和合を成す努力をすべきだとしてそれを生涯貫いた。現代のスピノザの研究者達はスピノザをよく風に例えるのだそう。力強い澄んだ穏やかな風。スピノザを心から尊敬する、僕も是非ともそういう風で有りたいものだ。
という訳で、去年のGWに高御位山山頂から加古川明石方面の夜景と向き合ってどこまでスピノザの風になれるか試して惨敗した。分かってはいたけれど。夜景は綺麗で物悲しい。何か果たされないまま蠢く光、祈りでもあり叫びでもある様な光、悲しみ、寂しさ、悲観が拭えなかった。
ので、リベンジ。去年も毎回そうだけど山は来た時よりも美しく!ということで登山道のゴミを拾いながら登っている。それは人間社会を良い様にと願う大多数の思いの流れと一致するだろうし、そう以前より強く感じたこともあってか目の前の光景と自分との一致を感じた。この夜景の光はそんなに僕を拒まないだろうし、僕も人々をそんなに拒まない。それなりに一致していられる安心感が有る。祈りでもあり叫びでもある様な光でもあることに変わりはないのだろうけれど、それはそれで良いのだと思う。それはそれで生の一部だから。及第点は得た様に思う。やはり自分の望みが人にも望んで貰える様なことである様に望むことが大事なのだろう。能動的な喜びの感情を持って人々と和合を成す努力をする、つまり前向きに積極的に共に生きようとすること。と言ってもスピノザは強過ぎて遥かまだ遠いけれど。幽遊白書の飛影が軀に言ったセリフを真似して、強くなればなるほど貴方を遠く感じる、化け物すか?とか言ってみたい。
とかく有意義な山登りだった♪
^_^
