お世話になったムケーシュさん、すーさんに送ってもらい、
ガヤ駅へ。


次の目的地はバナーラス。

ガンジス川があるこの地は、インドの旅での最終地にした。


バナーラスは変な人が多いから、と
みんなの口が酸っぱくなっちゃうくらい言われた場所。


私は、インドに慣れてきて、正直少し気も緩んでいた。





ムガルサライ駅というバナーラスの市街まで20キロ以上離れた場所に降りた私。

あたりは既に真っ暗で、時刻も夜7時を回っていた。


オートリキシャを捕まえなければホテルまで行けない私は、
話しかけてくるリキシャに交渉を始める。


「150ルピーでバナーラスまで行って。」

「無理だ。200ルピーだ」


下げられないんだったら、乗らない。

そうしてまた違うリキシャをあたる。


しかし、違うリキシャもなかなか150ルピーで首を縦に振ってくれない。


仕方ないなぁ。200ルピー出すかぁ。



そう思っていたその時。


一人のリキシャが150でいいから乗っていけと私に言う。

ただし相乗りで、
そこに乗っていたインド人も私のホテルの近くに行きたいんだそうだ。


夜だし、これ以上交渉するのも面倒くさいし、
とりあえずあまり深く考え込まずに乗りこんだ。



道中、しきりに私に話しかけてくる相乗りのインド人。


どこからきたの?
なにしてるの?


仏頂面で無視を決め込んでいる私。


すると、彼がヒンディー語で何か運転手に必死に話しかけている。



おかしいな、と思い出して
私は初めて彼に口を開く。

「あなたはどこに行くの?」


すると彼の答え。

「thank you!!」


いやいや、さっきまで流暢な英語で話しかけてきてたでしょ。

いきなり英語分かんないふりとか明らか怪しいでしょ。



ふと、私は不安に駆られる。

このリキシャは本当に私の目的地までいくのだろうか。

もしかして、グルになってどこか違う場所に連れて行かれるんではないのか。



私はとっさにムケーシュに電話をした。

状況を説明し、
「ヒンディー語で運転手に目的地をきちんと確認して欲しい。」

と頼んだ。


ムケーシュは運転手だけではなく相乗りの男とも話をしてくれた。

後で聞くと、「モエをきちんとホテルまで送り届けないとてめえの会社訴えるからな!」
と、ヒンディー語で話したらしい。

素晴らしく頼りになるヤンキーインド人だ。




電話を切った瞬間。


相乗り男は急に目から下をハンカチで覆い、

「ここで降りる!!!金を出せ!!」

といって、運転手からお金を奪い、逃走。



これにはみんな、唖然。



状況が飲めない私、
何があったの?と運転手に聞くと、

「ヒーイズクレイジー」

それだけ言って、普通にまたリキシャを走らせた。




彼は私がインド人に助けを求めたから逃げたんだろう、即座にそう悟った。


さもなければ、
私についてきて、お金を盗られるか、
やられるか・・・・・

それ以上のこともあったかも・・・・・





恐るべしバナーラス。

恐るべしインド。



ここで身を引き締めないと、

本気で私はガンジス川に身を放る羽目になるかもしれない。



今思っても、身の毛も弥立つ出来事だった。

みなさん、本当に長らくこの自己満ブログにお付き合いくださいまして、
ありがとうございました。


毎回欠かさず、読んでくれてる人も。

読んでみたけど、つまんなかったから辞めちゃった人も。

全く興味の無い人も。



いいんです。それで。

もし、これをみて、少しでもインドに何か感じてくれれば、

幸せです。



さて、よく偽善者という言葉を耳にしますけど、
ふと考えてみました。


偽善者ってなんだろうって。





例えば、ボランティアとかやっちゃったりして、
「俺カッコイイゼー」ってアピールする人。


いいじゃないですか。


募金とかしちゃって、「私募金してるのよ。すごいでしょ」とか自慢する人。


めちゃめちゃいいと思います。




例え偽善者でも、この世で助かる人がいるのだから

自分に酔えばいいと思います。


自分に酔って、人が助かる。

最高でしょ。





どうせ、日本みたいな豊かな国にいて、本当にかれらの気持ちが解る人なんていないと思う。



私も、明日からインドに行ってストリートチルドレンになりなさいっていわれても、
絶対に無理。




きっかけなんて何でもいい。


くだらないことでもいい。




自分の為でもいい。


モテたいからでもいい。





本当のポイントはそんなところにはないんじゃないか、と私は感じました。







さて、インド旅行の当初の目的はガンジス川でヨガすることだった私。


なのにもかかわらず、色々な出会いで結局残すところあと5日となった私の旅。




ついに最終目的地に到着します。

ブログもあと少しです。


最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。



今日はフリースクールのウェブサイトを開設する為の写真撮影をするということで
私もお手伝いさせてもらえることに。


昨日のお酒が残る中、みんなで朝早起きして学校へ向かう。



学校に到着するやいなや、
「んじゃ、これお願いね」

そういってカメラを私に渡して、ミーティングに向かうムーケーシュ、スーさん。



私かい!


と言いながら、結構ノリノリです。

ちゃっかり自分も写っちゃう。

インド旅行記2010
インド旅行記2010
インド旅行記2010


まぁ今回の目的はウェブサイト作りなわけで、

こーんな写真や

インド旅行記2010



こんな写真までとっちゃう。

インド旅行記2010


暇だったらウォーリーならぬモエリーを探してみてね。



ある程度撮り終わり、
さらなる場所へ移動。


なんと彼らは新しい土地を買い、もう一つ大きい学校を建設中なのです。

もースケールの大きさに、頭が下がります。



まだ、何もない新地には既に学校を待ち望んでる子供たちがたくさん。

インド旅行記2010
インド旅行記2010



うーん、やっぱり表情は堅い。

さっきの学校の子供達も昔こんな姿だったとは信じがたいくらい、
雰囲気が全然違う。


和ませる為に、「どーもどーもー」と輪に入る私。

インド旅行記2010


なんだこいつみたいなアウェイ感をたっぷり肌で感じながら。
私は、写真をとる。



それでも、だんだんみんなが私に慣れてきたらしく・・・・

私もみんなに慣れてきて・・・・




ついに最高の笑顔をゲット!

インド旅行記2010






最後には私が車に戻る時にみんなで跡をついてきて・・・・

インド旅行記2010



バイバーイ!!と、車越しにもいつまでも手を振ってくれた子供たち!!

インド旅行記2010


最高です。

最高に可愛いです。



なんかパワーもらったなぁ。

と、帰りの車で一人浸っていた。



学びたくて、学びたくて、
彼らはまだかまだかと今も同じ場所で待っている。


そこにはたくさんのまだ見ぬ夢がある。




そしてそんな夢を持った子ども達が、未来のインドを変えていく。



children dream future。



また私も会いに来たい。

そして、たくさん人にもここへボランティアで来て欲しい。




ブッタガヤーに来て、本当に良かった。

でも自己満で終わるのではなく、私は私の感じたことを誰かに伝えなきゃいけない。


私の言葉で。
決して押し付けるのではなく。



それが私の出来ることだと思った。
学校から帰り、
私はムケーシュとトトロの木があると言われる、スジャータ村に出かけた。


インド旅行記2010


あまりの大きさに感動してその場に立ち尽くしていると、
3人の子供がやって来た。


ペンちょーだい。
チョコレートちょうだい。


私はインドでのこのやり取りには些か疲れていた。

「持ってないよ」

いくら私が言っても、彼らは帰ろうとはしない。



するとムケーシュが聞いた。

「学校は行ってるの?」

私はその質問の意味が良くわからなかった。



「うん、行ってるけど、今日は学校休みなんだ」

彼らが答えると、
ムケーシュが彼らに10ルピーを渡した。


「じゃあ、これでチョコレートを買いなさい」


彼らは嬉しそうに「ありがとう!」と言い残し、
走って村のほうへ帰って行った。



私は聞いた。

「何で学校いってる?って聞いたの?」


ムケーシュは言った。

「ブッタガヤーでは、フリースクールがいっぱいある。
だからやる気があれば学べるんだ」



お金がほしい、ほしいという物乞いの子供たち。

彼によると、
それはただ甘えている場合もたくさんあるとのこと。

本当はやればできるんだ。
仕事だって頑張って探せばあるんだ。

それなのに、
お金を貰うことばかり考えて、自分で努力をしない子供たち。



そして、彼は言った。


だから俺らは学校を建てたんだ、と。

カースト制が廃止になった今日、
学べばストリートチルドレンも普通の人と同じ仕事に就くこともできるのだそう。


でも、学ばなかったら、何も変わらない。









その夜、ムケーシュさんとスーさんと飲んだ。

昔は大金を使ってデリーで毎日飲み歩いていた、という武勇伝をもつ二人。

でもある日気付いたそう。


「このお金は何になっているんだろう?」



それから二人で話し合って、この学校を建てた、と話してくれた。



お酒が飲みたかったら、外ではなく家で飲めばいい。
ご飯が食べたかったら、自炊すればいい。


自分たちが日常の何かをほんの少し我慢することで、
この世界に助かる人はたくさんいるから。




普段、冗談ばかりの彼らが熱く語り出す。





そうして私は、二人の素敵な熱い想いや、
昔の二人のバカみたいな話をたくさん聞いた。

本当に二人は仲が良かった。




私は幸せだった。


こんな素敵な熱い二人と、今ここで同じお酒を飲めていること自体、
幸せだった。



二人の目はいつまでもキラキラしていた。

それはまるで今日見た子供たちと全く同じ目をしていた。
長い長い移動時間を経て、
ガヤ駅へとやっと到着したのは
ウダイプルを出てから一日半後の、朝7時だった。




列車を降りると、すぐにムケーシュの姿。

私がわかるように車両ナンバーのところで待っていてくれたらしい。


無事にもう一度インドで再会できたことをお互いに喜び、
彼の友達の車で、ガヤ駅から車で45分くらいのブッタガヤーへ向かう。


「どうだった?疲れた?」

と、ムケーシュ。


「うん、おなかすいた・・・・」

全く的外れな答えを出してしまうくらい、電車の中で何も食べていなかった私。



車を走らせ、ムケーシュと友達が経営しているというゲストハウス到着!


即効、朝食。

おなかがすいている私に朝からガッツリご飯を出してくれた。

インド旅行記2010


そして一緒にこのゲストハウスを経営しているっていうトモダチ登場!


左に写っているのが、スーさん。

$インド旅行記2010

二人ともガイドをしているため、日本語がぺらぺら。

しかもスーさんに限っては、日本に一度も行ったことがないんだとか。



彼らに限ってではなく、本当にみんなよく勉強している。


私は、勉強についても、何回も考えさせられることがこの旅であった。






朝食も終わり、私達は早速ムケーシュ達が経営している学校を見に行くことにした。

彼らは今、もっと学校を拡大しようと新たな土地を買い、
新たな学校設立を企画している真っ只中。



私が今までインドでみてきたたくさんのストリートチルドレン達。
彼らはもちろんお金がないから学校にすら通うことができない。


そんな彼らにむけて、
無料で学べるフリースクールがブッタガヤーにはたくさんある。


彼らには、制服からペン、ノート、教科書、食べ物、時には宿まで全て無料で配布される。

もちろん全て経営側の実費。

彼らは先生のお給料も、支払っているのだ。


どんな子でもその学校に入ることを許可されるという、
カースト制度も全く無視した自由な学校作り。


その陰には、ムケーシュ達みたいな人達の努力があった。

私がインドでやりたかったことの一つ学校のボランティアに、
経営者立場からみさせて貰えるという、感謝すべきムケーシュとの出会い。





その学校は車で市街から10分くらい走ったところにあった。

あたりは静かで田んぼ道が続き、
そんな中にポツンある小さな小さな学校。

インド旅行記2010
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私が行ったときはちょうど授業が終わった後だったらしく、
既にほとんどの生徒が家族のもとへと帰宅していた。


すると物珍しそうに、一人の男の子が教室からチョコンと顔を出す。

インド旅行記2010



「ハロー」
私が話しかけると、中から次々と何人かが顔を出した。

インド旅行記2010

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いつだって、仲良くなるきっかけは写真がくれた。

私がカメラを向けると、彼らは恥ずかしそうに、こっちを向いてくれる。


そして私は必ず撮った写真を彼らに見せる。

彼らは珍しそうにレンズを覗き込み、
嬉しそうに笑い合う。


「じゃあ次は、スマイルでね!」

私が言うと、
ちゃーんとポーズを撮って笑う。


「メラナム、モエヘッ(私の名前はモエです)」



私は、覚えたてのヒンドゥー語でまずはみんなに自己紹介をする。

私の発音がおかしいのか、みんなが笑う。



その日学校に残っていたのは6人。

私は教室に入り、一人ひとりの名前を聞いた。


中には英語がかなり話せる子もいれば、
通じない子もいる。

そんな時は話せる子が、必ず通訳をしてくれる。


「私、日本からきたの。
ヒンドゥー語、勉強したいから教えて。」

笑顔で言った私に、
まだ、突然の訪問客に戸惑っているようで、恥ずかしそうなみんな。


そんな彼らにさらに話しかけてみる。

「ハローって何ていうの?」


すろと最初に出会った男の子が言った。

「ナマステ!」


「んじゃあ、ありがとうは?」


「ダンニャワード!」

「ダンニャワード!」


一度誰かが答えると、クイズに答えるようにキラキラした目をし出す子供たち。


最後には、これはこういうんだよー

これはこうだよー

と自分から教えてくれるようになった。



すると一人の子から、
「ハローって日本語ではなんていうの?」

と逆質問。


「コンニチワっていうんだよ」

私が答えると、どうやら発音がおもしろいのか、
みんなで一斉に「コンニチワー」「こんにちわー」と復唱し出す。



そうして私たちは、徐々に距離を縮めていった。


俺が先生になる!と
黒板にヒンドゥー語を書いて私に教える子。


私が発音するとみんなが違う違うといって笑う。



「モエー」「モエー」


気付けばみんなが私の名前を覚えてくれていた。


今回の学校訪問の目的は、ムケーシュ達と先生同士のミーティングだったため
楽しい時間はあっという間に終わりを告げる。



「また明日もくるねー!!」


私が帰ろうとすると、

「バイバイ!明日ね!」と車までついてくる子供たち。




私は3年前を思いだしていた。

当時も私はインドのボランティアに興味があり、
当時付き合っていた彼に「インドに行きたい。」と一度だけ漏らしたことがある。


私は私なりに真剣だった。

すると彼の答えがこうだった。


「俺らみたいな裕福な人間が、ボランティアなんかいったら逆に子供が可哀想だ」


自信満々にそう言う彼に、
その時の私は、そうなのかなぁ。と納得せざるを得なかった。


あれから今まで、私はずっとその言葉が心に引っかかっていたんだ。



「可哀想だ」


でもね、その気持ちは、子供たちの目をみた瞬間吹き飛んだ。


彼らはただ単純に、私を受け入れてくれた。

私と話すことを、私との時間を、楽しんでくれた。



大人になるに連れて、私たちは色々考えてしまう。

キレイ、キタナイ、ヤサシそう、コワそう。
先入観から入ることを学んでいく。


でも彼らは、純粋無垢だった。


彼らは私を、日本人ではなく。

一人の人間として、
「藤本萌里」として、

見てくれていた。



彼らの飾る必要もない純粋な心達は、
まっすぐ私の心だけを見ていた。