さいきん
なんだかイライラすることいっぱいで、でも一体それがなんなのかわかんなかった。
自暴自棄なのかなんだかわかんないんだけどね、理由が謎で、色々支障が出てきちゃって。
このままじゃいかんーって一生懸命答えだそうとして
で、今日あっさり答えが分かった。
言わないけど。
ほんの気持ちの切り替えが必要だったのよね。
誰にも関係することでないし、ようするに自分の心の問題で、持ちようで、どこにメインをもってくるか、だったんだ。
そんな簡単で単純なことをわたしはずっと気付かず、もやもやしてました。
いやーすっきりしたことだし、ボジョレー・ヌーボー解禁したし飲みたいなー
今日は新宿の花園神社の酉の市にいってきます。一眼もってれっつらごー!!
自暴自棄なのかなんだかわかんないんだけどね、理由が謎で、色々支障が出てきちゃって。
このままじゃいかんーって一生懸命答えだそうとして
で、今日あっさり答えが分かった。
言わないけど。
ほんの気持ちの切り替えが必要だったのよね。
誰にも関係することでないし、ようするに自分の心の問題で、持ちようで、どこにメインをもってくるか、だったんだ。
そんな簡単で単純なことをわたしはずっと気付かず、もやもやしてました。
いやーすっきりしたことだし、ボジョレー・ヌーボー解禁したし飲みたいなー
今日は新宿の花園神社の酉の市にいってきます。一眼もってれっつらごー!!
わからなくなること
分からないのです。
だって人はそれぞれちがうもの。
そんなこと知ってます。
わたしという人間は無駄が多いのですね。
悩むくせに誰にもいわない。
ちがう。いえないことばっかりなのです。
そして、聞くことが怖いのです。
それなのに、何も感じないふりをしているなんて。
感情に動かされる自分が嫌いなのです。
だから押し込むのです。
わたしばかみたい。
ああ、順応できないせつこがばかなのです。
感情は「考え」ではないのです。
ひとは、わすれてしまう生き物なのです。
「してもらうこと」を当たり前のように思っていました。
知らないうちに「してくれなかったこと」ばかり覚えていて、「してもらったこと」をすっかり忘れてしまっていました。
なにかを守ろうとして考えすぎると、実際には失うもののほうが大きくなるのです。
マイナスを恐れる自分がいるのです。
問題が目の前にあるとき、自分のしたい行動を起こすことの出来る人にわたしはなりたいのです。
そういう人の人生は鮮やかに展開していくのでしょう。
ただ、人の気持ちを完璧に理解することはできません。
こればかりはどんな利巧な人でも出来ないと思います。
だって他人の頭のなかだもの。
失敗は必要な体験になり、恥じる心は反省とこれからの自信に繋がり、わたしの人生に積みあげられる。
むしろ、苦しい感情も思いがけない体験だと捉えたらいいのでしょうか。
そんな簡単に切り替えることはできるんでしょうか。
思ったとたん変な横槍が入ります。
この、ネガティブせつこめ。
言うべき言葉を「自分に向けた」とき、すくみあがってしまうわたしがいるのです。
腹がたったとき、その場で怒りをぶちまけるか、それでは何も解決しないと落ち着いて考えるか。
そして、やさしい気持ちがわいても、素直になれるかどうかは、その人次第なのです。
今のわたしがあるのは周りの人のやさしさなのだと心から思います。
人を喜ばせることを楽しみの一つにして、自分の成長に繋げたい。
人生の一大目標にかかげてしまいたい。
そうやって成長し、人間として熟し、経験に裏打ちされた女になりたい。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
わたしの中、万華鏡のように覗かれても自信もてるくらいきれいだったらいいのに。
あれはシンメトリーのバランスがとれている。
今あるものが壊れて、またすぐに次が生まれ、その繰り返しが永遠に続いていくのだから。
だからずっと覗いていたくなるのですね。
きれいなものを見ていると、幸せな気分になるのですね。
でもね、鏡の反射のせいでころころ映像が変わるんですが中身は決して変わらないのです。
鏡の反射であんなにも鮮やかな映像が生まれる・・・
単純なことなのに人に与える印象は大きいですね。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
ああ、せつこという生き物はどのくらいスペースとれているんでしょうか。
プレパラートにのせてもはみださないくらいでしょうか。
せめてシャーレにうつりたい。
あなたを必要としないだけの力と強さを手に入れたらわたしは自分でシャーレにうつりましょう。
愛も友情もすべて実践であり、実感です。
だって人はそれぞれちがうもの。
そんなこと知ってます。
わたしという人間は無駄が多いのですね。
悩むくせに誰にもいわない。
ちがう。いえないことばっかりなのです。
そして、聞くことが怖いのです。
それなのに、何も感じないふりをしているなんて。
感情に動かされる自分が嫌いなのです。
だから押し込むのです。
わたしばかみたい。
ああ、順応できないせつこがばかなのです。
感情は「考え」ではないのです。
ひとは、わすれてしまう生き物なのです。
「してもらうこと」を当たり前のように思っていました。
知らないうちに「してくれなかったこと」ばかり覚えていて、「してもらったこと」をすっかり忘れてしまっていました。
なにかを守ろうとして考えすぎると、実際には失うもののほうが大きくなるのです。
マイナスを恐れる自分がいるのです。
問題が目の前にあるとき、自分のしたい行動を起こすことの出来る人にわたしはなりたいのです。
そういう人の人生は鮮やかに展開していくのでしょう。
ただ、人の気持ちを完璧に理解することはできません。
こればかりはどんな利巧な人でも出来ないと思います。
だって他人の頭のなかだもの。
失敗は必要な体験になり、恥じる心は反省とこれからの自信に繋がり、わたしの人生に積みあげられる。
むしろ、苦しい感情も思いがけない体験だと捉えたらいいのでしょうか。
そんな簡単に切り替えることはできるんでしょうか。
思ったとたん変な横槍が入ります。
この、ネガティブせつこめ。
言うべき言葉を「自分に向けた」とき、すくみあがってしまうわたしがいるのです。
腹がたったとき、その場で怒りをぶちまけるか、それでは何も解決しないと落ち着いて考えるか。
そして、やさしい気持ちがわいても、素直になれるかどうかは、その人次第なのです。
今のわたしがあるのは周りの人のやさしさなのだと心から思います。
人を喜ばせることを楽しみの一つにして、自分の成長に繋げたい。
人生の一大目標にかかげてしまいたい。
そうやって成長し、人間として熟し、経験に裏打ちされた女になりたい。
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わたしの中、万華鏡のように覗かれても自信もてるくらいきれいだったらいいのに。
あれはシンメトリーのバランスがとれている。
今あるものが壊れて、またすぐに次が生まれ、その繰り返しが永遠に続いていくのだから。
だからずっと覗いていたくなるのですね。
きれいなものを見ていると、幸せな気分になるのですね。
でもね、鏡の反射のせいでころころ映像が変わるんですが中身は決して変わらないのです。
鏡の反射であんなにも鮮やかな映像が生まれる・・・
単純なことなのに人に与える印象は大きいですね。
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ああ、せつこという生き物はどのくらいスペースとれているんでしょうか。
プレパラートにのせてもはみださないくらいでしょうか。
せめてシャーレにうつりたい。
あなたを必要としないだけの力と強さを手に入れたらわたしは自分でシャーレにうつりましょう。
愛も友情もすべて実践であり、実感です。





